<めざせ語学マスター>チャンクとは?

2021年11月3日

再び先日の日本語教育能力検定試験の内容について。

試験Iの問題10には認知心理学の「維持リハーサル」やワーキングメモリが出てきました。
ちょうど試験前の「記憶とは?」で書いたばかりなので「きたきた!」と思いましたがその次の「かつて言語教育ではチャンクが否定的に捉えられてきたこともあったが、近年はその役割が見直され、チャンクの使用の効果が確認されている。」という表現に「え!チャンク?」と驚きました。

最近仕事でも「チャンク」という言葉をよく使っています。チャンクは、AI用の同時通訳コーパス作成時にも「訳すときの意味の塊」として使われています。その「チャンク」という言葉を日本語教育能力試験でも見るなんて驚きでした。

ではチャンクとはどういうものなんでしょうか。

チャンクに関する古い論文は、1956年のアメリカの認知心理学者、ジョージ・ミラー(1920-2012)の論文「マジカルナンバー 7±2」(1956)です。彼は、人間の短期記憶、ワーキング・メモリーには、処理容量の限界があり、一時的な記憶で処理できるのは7要素くらい(7±2)だとしました。

しかし、この7個というのは、7数字や7文字、といった単純な単位ではなく、7つの意味の塊(チャンク)に対しても機能します。

例えば、FBICIAUSAという言葉。
皆さんは一度見てすぐに思い出して書くことができますか?

私は電話番号もすべて語呂合わせで覚えるほど、綴りや数字を覚えるのが苦手なので、こういう問題にはとても抵抗を感じてしまいます。でも、実はこれを3つに分けると意外と簡単に記憶出来ることがわかりました。
FBI / CIA / USA
そうです、それぞれアメリカの連邦捜査局(FBI)、中央情報局(CIA)、アメリカ合衆国(USA) です。
このように、意味の塊(チャンク)に分けてワーキングメモリーを効率よく使うことができれば、人間は長い単語、つづりや数字といった情報を、少ない負荷で記憶することができます。

以前の「記憶とは?」のブログにある、ワーキングメモリー(記憶の短期貯蔵庫)の保持時間は15~30秒です。短期貯蔵庫はすぐに処理しないと忘れてしまう記憶の一時貯蔵庫です。しかし、もし長期保存庫に多くの知識(語彙、文法、イディオム、表現、文)が予め入っていればワーキングメモリーで処理できるチャンクの量や長さも増えてくるはずです。

同時通訳が通訳する際、発話を、ある程度の塊に訳しながら通訳していきます。その時の発話の塊がチャンクです。同時通訳は逐次通訳と違って、文章を最後まで聞いてから再現するのではなく、聞きながら訳すという特殊な方法で訳していくので、分け方も1文ずつなどではなく、文節や名詞句、動詞句など、かなり短いスパンで訳していくことになります。また、チャンクによる記憶方法をAIを使ってデータ処理した同時通訳に活用する研究もおこなわれています。

以前から、同時通訳の訓練の一つには「スラッシュリーディング」や「チャンクリーディング」がありました。スラッシュリーディングとは、英語を英語の語順のままで読んでいくための読解方法です。通訳のためだけではなく、英語の速読の方法としても用いられることがあります。チャンクリーディングの場合はスラッシュだけでなく、改行までしてよりはっきりと意味の塊を表示させることもあるようです。

通常、日本語から英語に訳そうとすると、語順の違いから(日本語はSOV、英語はSVO)、日本語の最後に出てくる述語を英語の主語の次に持ってくるなど、語順がひっくり返りますが、通訳、特に同時通訳の場合は、最後まで待っている余裕がありません。そこで、情報を出て来た順に理解して、ある単位の塊ごとに訳していく必要があります。同時通訳の学校ではこの方法を基礎訓練として勉強することがあります。通訳の場合は音声の処理なので、実際にはスラッシュ・リーディングからはじめて、少しずつ音声へ移行して、スラッシュ・リスニングの訓練をします。(私自身は逐次通訳の経験しかないので、同時通訳の訓練は憧れるばかりなのですが・・・)。

通訳にならなくても、記憶の訓練や速読のために、スラッシュ・リーディングはおすすめです。スラッシュの入れ方に厳格な規則はありませんが、SVC, SVO, SVOO, SVOCなどの文型の区切り、現在分詞や過去分詞の前、不定詞句の前、長い名詞句の後、接続詞や関係代名詞・関係副詞、疑問詞の前、カンマ、セミコロン(;)、コロン(:)、ダッシュ(―)の後、前置詞の前などが多いようです。意味の塊で区切る、というだけで厳しい縛りはありませんが、これ以上区切ったら意味の塊が壊れるという区切り方(The /White / House /summary…)は通常しません。

さて、試験問題の選択肢(「チャンクの使用の効果」)は、そんなチャンクの知識があっても選ぶのは難しかったです。他の選択肢も紛らわしく感じましたが、とりあえず「注意を払わなくても言語処理が進み、発話の流暢さが増す。」を選びました。でも、正直あまり自信はなかったです。「チャンクを使ったら流暢に話せる・・・?」そうかな?と悩んでしまいました。

チャンクが生かせるのは、長期記憶庫に予めたくさんの知識がある場合だと思います。また、どんなに2か国語がペラペラでも、発話の内容を理解できなければ流暢には話せませんし、あまりチャンクにこだわると「どこでチャンクを区切ったらいいの?」という別の問題を抱えることになりそうです。(鍋)

<めじろ奇譚>海外では、たばこは何歳から吸えるの?

2021年11月2日

さて今回私に割り振られたテーマは「喫煙」です。
日本では「タバコとお酒は20歳から」と言われるように、喫煙は成人(=20歳)になってからというのが常識ですが、世界の国々はどうなのでしょうか。

社内ネイティブスタッフに尋ねてみました!!!

国名  喫煙できる年齢 その他(価格など)
日本
(私)
20歳以上 ・お酒もタバコも20歳から。
・2021年10月のたばこ税増税に伴い、価格は1箱あたり数10円~100円程度一気にアップ。銘柄にもよるが、タバコ(紙巻タバコ)1箱500~600円程度。
・昔に比べると分煙・禁煙場所が増え、喫煙できる場所はだいぶ減っている。
アルゼンチン
Yさん
18歳以上   ・飲酒も同じ。
・値段は100円から250円の間。(有名なメーカーは200円から250円らしいです。例:マルボロ、ラッキーストライク)
・公共の場ではどこでも喫煙可能。レストランやバーなどではテラスなどあれば喫煙できるところもありますが、半々ぐらい。
オーストラリア
Bさん
 18歳以上  ・オーストラリアではタバコ一箱(20本)は2,000円ぐらいと高い!(AUD24)
喫煙できる年齢は18歳以上だが、18歳未満の人でも販売可能。
・たばこの悪影響を伝えるように(ほとんど(すべて?)の)たばこの箱に気持ち悪い写真が入っている。
カナダ
Mさん
ほとんどすべての州は19歳以上。
ケベック州、マニトバ州、アルバータ州のみ、18歳以上
・飲酒も同じ。
・ちなみにカナダも気持ち悪い写真がパッケージに乗っけています。
そして、税金がすごくかかっていて、1箱20ドル(2,000円)程度です、おそらく。
スウェーデン
Sさん
18歳以上 ・タバコ一箱の平均的な価格は750~780円程度(59スウェーデン・クローナ)ですが、2023年にタバコの税金を上げる予定だそうですので、2023以降はもっと高くなるようです
しかし、どれぐらい高くなるかはまだ決まっていないです。
・スウェーデン国内の全てのレストランに加えて、バス・タクシー乗り場や駅のプラットフォーム、屋外カフェ、スポーツ競技場なども禁煙となっています。
パラグアイ
Hさん
 18歳以上 ・建前は18歳(mayor de edad:成人年齢)ですが、若いうちから始める人も多い。
・30%のスモーカーが高校生から大学生だそうです。(=12~18才)更に、私立高校の方が公立高校よりタバコに走る人が多いそうです。
・ちなみに円換算するとMARLBOROが首都では185円と、とても安いです。
ベトナム
Tさん
 18歳以上 ・法律上は18歳からだが、若いうちから吸い始める人もいる。
・タバコの値段は国産だと20000ドン(100円程度)、輸入物だと30000ドン(250円程度)。
フランス
Dさん
 未成年者(18歳未満)に対するタバコの販売は禁止されているが、喫煙行為自体に年齢の規制はない。  ・15歳のフランス人の半分はタバコを吸ったことがある…?
・タバコの価格の80%は消費税。
・2020年にタバコ(1箱)の値段:10ユーロ(1350円!!)
・1990年に1.5ユーロ(200円)でした
ロシア
GさんとSさん
 18歳以上  ・最近は健康志向の高まりから、タバコをやめる人もいる。
・タバコの値段は1箱108ルーブル(日本円で180円弱)から。国産・輸入物で値段は2倍ほど差がある。

※個人的な見解も含まれます。

喫煙可能な年齢は、差はあるものの18歳が基準となっている国が多そうです。
世界を見渡してみると、成年年齢を18歳と定めている国が主流となっており、この動きに倣うように2022年には民放改正により日本でも成年年齢は18歳となるとのことですが、(https://www.moj.go.jp/content/001300586.pdf)法改正後も飲酒・喫煙が合法となる年齢は20歳のようです。

…とまとめているうちに、年齢よりもその他の小ネタ?が目につくようになってきました。いくつか紹介します。

① 衝撃的なパッケージの写真
日本では見られませんが、たばこを吸うことがいかに身体に悪影響を及ぼすか、ということを伝えるために、パッケージに恐ろしい写真を載せる国が多々あります。「あなたの肺はこうなります」「こうやって死んでいきます」など生々しい写真が大きく載せられています。優しさは微塵もありません。下記はオーストラリア・Bさんから提供してもらった写真ですが、そういえば私も海外の空港の免税店で、カートン売りしているタバコの箱にこういった衝撃的な写真がのっているのを見てぎょっとしたことがあります。

(オーストラリアの例)

② 無煙たばこ「スヌース」
スウェーデンでは、吸うタバコより、唇の下に入れる「スヌース」(無煙たばこ)の方が広く使われているようです。Sさんの推測によると、その理由の一つは禁煙ルールの対象外となっているからではないか、とのこと。え、なに?ああ、「噛みタバコ」ね、と言ったらそれは違うとのこと。どうやら「嗅ぎタバコ」と呼ばれるそうで、「ふーん、スウェーデンって進んでるな」と思っていたらこのスヌース、日本でも売られているそうです。(でもスウェーデン製)

(日本で売られているスヌース)

商品名アル・カポネ…
https://kakakumag.com/hobby/?id=13045

 

③ ティーンエージャーも喫煙。
アルゼンチンのYさん曰く、「中学・高校の校庭や校内ではないのですが入口のすぐそばとかでタバコを吸っている学生は結構いました。教師達は見て見ぬ振りする人がほとんどだったのですが、逆に学生と一緒にタバコを吸っている教師もいましたね。校庭でも喫える学校はあまりないと思いますが、学校の入り口で学生が平然とタバコを吸ってるところは普通にあります」。学生と一緒に教師がタバコ。これは日本では見られない光景ですね。これを聞いたパラグアイ出身のHさんも「パラグアイも同じ!さすが隣国!」と共感し、盛り上がっていました。

以上、社内タバコアンケートでした。
次はどんなアンケートを取ろうかな。(川本)

<めざせ語学マスター>日本語教育能力検定試験 今年も受けました

2021年10月26日

今年は大正大学が試験会場でした。昨年は東京外国語大学、その前は明治大学・・・。家族に話すと「ああ、年に一度の大学見学?」と、秋のある一日、朝から母がいない様子は家族内の恒例行事になっているようです。

日本語教育能力試験は朝9時開場、9時50分から1時間半の試験I, お昼を食べて午後12時50分から13時45分まで聴解試験の試験II, その後14時25分から16時40分までが記述式を含んで行う試験IIIという3部構成です。10月末は秋が冷え込み始めるとき。去年も今年もコロナ対策がしっかり行われている中で実施されました。

大きな会場に一つずつあけて座っている受験者は、年齢層もバラバラで、20代の人から定年退職したあとのような高齢層までいます。全体のイメージでは、真面目そうな人が多い様子。そもそも丸1日かけて受ける試験に応募する時点で、気合のある人々なんだと思います。

今回は過去3年分の試験を見直してのぞみましたが、内容としては今年の試験もだいたい過去問と似たような問題だったと思います。今まで通信教育、問題集、ビデオのオンライン授業など受講してきましたが、やりつくした感があり、今年は過去問の内容をノートにまとめたり、このブログを書きながら勉強するという地味な方法をとってきました。

過去に買った問題集もすでに数年前のもので、試験を受けて思ったのは「私は今のトレンドに弱い」ということ。試験Iの問題14には、日本語教師の人数など、まさに業界の現状を問う問題が出ました。「令和元年度の日本語教師等の数」・・・鉛筆を転がす思いで4万6000人を選んだら、・・・ラッキーなことに当たっていました。

実はこのトレンド、文化庁で毎年出ている「日本語教育実体調査報告書」を見れば一目瞭然です。

令和元年度日本語教育実態調査報告書「国内の日本語教育の概要」
令和元年度の日本語教師の数は46,411人。
年代別では60代が一番多いです。10,352人(全体の22.3%)
地域別では、関東の次に多いのは近畿です。
職務別ではボランティアによる者が一番多く、24,745人(53.3%)。
機関、施設等別では法務省告示機関が最も多く、12,933人(27.9%)。

参考までにコロナが襲った昨年の報告書によると、
令和2年度日本語教育実態調査報告書「国内の日本語教育の概要」
令和元年度の日本語教師の数は41,755人。(前年度(46,411人)より4,656人(10.0%)減少)。
年代別では60代が一番多い。9,727人(全体の23.3%)
地域別では、関東の次に多いのは近畿です。
職務別ではボランティアによる者が21,898人(52.4%)。(前年度より2,847人減少)
機関、施設等別では法務省告示機関が最も多く、11,554人(27.7%)。

しかし何より顕著なのは、日本国内での日本語学習者の人数の減少で、令和2年度は160,921 人で、前年度(277,857 人)より 116,936 人(42.1%)の減少。

令和2年度日本語教育実態調査報告書「国内の日本語教育の概要」(パンフレット版)

このコロナ禍での学習者の大幅減少という状況は、来年以降の試験では問われるんでしょうか。

日本語教育人材に求められる資質・能力についてはこちらに記載がありました。
「日本語教育人材の養成・研修の在り方について(報告)」の概要
この中に、1)日本語教師,2)日本語教育コーディネーター,3)日本語学習支援者の三つの分類と段階や活動分野ごとに,求められる資質・能力,養成・研修の在り方及び教育内容が示されています。

①日本語教師 日本語学習者に直接日本語を指導する者
②日本語教育コーディネーター 日本語教育の現場で日本語教育プログラムの策定・教室運営・改善を行ったり、日本語教師や日本語学習支援者に対する指導・助言を行うほか、多様な機関との連携・協力を担う者
③日本語学習支援者 日本語教師や日本語教育コーディネーターと共に学習者の日本語学習を支援し、促進する者

また、その役割・段階ごとに求められる日本語教育人材の資質・能力は「知識・技能・態度」に分けて整理されています。

そして、このように日本語に関する様々な情報を発信する文化庁が行っている事業は、地域日本語教育スタートアッププログラムです。
地域国際化推進アドバイザー派遣は自治体国際化協会。
大規模汎用日本語データベース構築は国立国語研究所
外国人留学生在籍状況調査は日本学生支援機構が行っています。

私は外国人留学生在籍状況調査を文化庁が行っていると思ってしまいました(確か文化庁のサイトで見た覚えがある!と思ったら文化庁の情報に日本学生支援機構のデータが使われていただけだったようです。(;’∀’))。職務別の日本語教師の数では非常勤による者のほうがボランティアより多いと思い、さらに日本語教育人材に求められる資質・能力は「知識・技能・適応力」かと思ってしまい、結果、私はこの問題14だけで5問中すでに3問間違えています。

今年もクリスマスイブにショッキングな通知を受け取る予感・・。
さて来年はどの大学に出かけて行くのかな・・・。

それにしても、こんなに沢山の人が受験する試験なのに、実際は半分近くがボランティアっていう現実を(選択肢の一つとはいえ)試験にするのはちょっと自虐的すぎではないでしょうか。
いくら少子高齢化社会だからって、高齢者のボランティア頼みの日本語教育というのは「未来が明るい」とは思えない気がします。英語教育には熱心すぎるぐらいの日本なのに、日本に住む外国人の日本語教育にはお金をかけないのでしょうか。本当は日本人の英語教育と同じくらい力とお金をかけるべき、いや、日本の将来を考えれば、英語教育より大事かもしれないのでは?(鍋)


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<めじろ奇譚>LGBTの権利・フランスと日本の比較

2021年10月21日

フランス

国際レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランス、インターセックス協会(ILGA)によると、LGBTの権利ランキングでは、ヨーロッパの中でフランスが13位となっています。世界規模で考えると、寛大な国だと思われていますが、実際にはEUやG7の平均に近いです。

18世紀前までは、宗教の影響によって法律上、同性同士の性的関係が罰せられていました。但し、「同性愛」という概念がなかったため、「同性愛」という考え方自体は罰せられておらず、こっそりと恋愛関係になっている人もいました。同性愛者の性的関係はフランス革命まで犯罪とみなされており、死刑が科せられることもありました。(*最後の死刑の例は1750年。)

フランス1791年刑法典が定められたことによって、罪ではなくなりましたがLGBTの権利はその後約160年停滞しました。

第二次世界大戦中、同性愛者は迫害され、性行為同意年齢についても1982年まで異性間カップル(18歳)と同性間カップル(21歳)の間で年齢が異なっていました。
※1982年には同性間カップルも、異性間カップル同様、21歳から18歳に下がりました。

そして、1999年に民事連帯契約(パックス、Pacte Civil de Solidarité)が成立し、2013年には同性婚が認められることになりました。

フランスでの同性婚に対する反対デモ

 

日本

日本はフランスと違って、LGBTを差別の対象にする宗教的な文化がありませんが、LGBTに対する認識はまだ少ないようです。

11世紀の源氏物語のような古典や、北斎・歌川広重の浮世絵にも同性愛者の描写がありました。

また、同性愛は侍の社会階級の中でも珍しいことではありませんでした。

しかし明治時代には、欧米の影響により、同性間の性的関係が1873年から1880年において禁じられていたこともありました(鶏姦律条例)。

以降、日本でのLGBTの権利は少しずつ認められつつありますが、他の先進国と比べたらまだ遅れています。

ただ、進歩がないというわけでもありません。自治体によりますが、パートナー証明書の制度も出来ましたし、東京都や千葉県ではLGBTに対策する差別を禁じる条例も施行されました。

読売新聞が2020年に国内で行った調査によると、同性婚に賛成している国民の割合は61%を占めます。それにも関わらず、G7の中で同性婚がまだ認められていないのは日本だけです。

源氏物語の絵巻・11世紀

結論

フランスは日本より法律の面では進んでいますが、LGBTの人がいけない場所があるなど、治安の問題があります。

日本はフランスと違って治安は良いですが、法律の進歩がまだ遅れています。そのため、例えば、同性間カップルでは家を借りることが難しかったり、外国人の配偶者のためのビザが取得できなかったりします。

フランスでも日本でも今後LGBTの権利がもっと改善されることが期待されます。(ダミアン)

<お知らせ>同時通訳者&翻訳者 急募

2021年10月19日

フランシールでは現在英語、中国語、韓国語、ベトナム語の同時通訳を募集しております。

ご関心のある方は、こちらからご応募ください。

よろしくお願いします。

株式会社 フランシール 採用担当

 

<めざせ語学マスター>記憶とは

2021年10月19日

娘が小学校2年生になったとき、ピアノを習いたいと言い出しました。
ちょうど「クラシックの名曲」というCDつきの子供用の本を買って、寝る前に聞かせていたころだと思います。モーツアルトの「きらきら星」なども入っていて、私も子供たちの横で鍵盤があるように指を動かしたり、指揮者になったようなふりをしたりして寝かしつけていました。

ピアノを始めるにあたって鍵盤が50個くらいしかないキーボードを買ってきました。娘が弾いていないときに、私もキーボードについてきた楽譜を見て、その昔、中学生まで習っていたピアノを思い出して時々練習し始めました。すると・・「鍵盤が足りない」ことに気づきます。もっと高い音があったはず、とか低い音があったのに鍵盤がない・・。

結局自分の要望で88鍵盤のキーボードを買うことにしました。するとまた少し上のクラスの楽譜がついてきたので、弾けそうだなと思える曲を選んで練習するようになりました。ただ、昔弾いていた曲は指が覚えていたりもしますが、新しい曲は楽譜を一つ一つ丁寧に読んで確認しないとなかなか弾けません。あるいは、途中まで弾けても頭の中で「あれ?ここはどの音だったっけ?」と思ったとたんに指が止まって動かなくなります。

昔弾いていた曲や、最近ずっと弾く曲は楽譜がなくても弾けるものもあります。ただ、それは楽譜が頭に入っているわけではなく、頭を通さずに指が動くような感覚です。(念のために言っておきますが、ピアノ自体は上手くなく、中学校時代であっても「エリーゼのために」をやっと弾けるぐらいの力量でした。おまけに当時ピアノは本当に嫌々やっていました。それでも、です。)

それはパソコンのキーボードを叩くとき、最初は「Aはどこ?」「Wはどこ?」と探していたのが、いつからかブラインドタッチができるようになるのと同じような感覚だと思います。他の人と会話しながらスマホで別のメールを打ったりするとか、意外と人は神業のようなことを意図も簡単にやってのけます。

長くなりましたが、今回はそういった頭でわかっている知識と、体で覚えている知識の違いについてです。

私たちは生活上、常に新しいことを学習しています。ピアノの練習もそうですし、キーボードの使いかた、自転車の乗り方、自動車の運転の仕方、はたまた外国語の書き方や話し方、様々なソフトやアプリケーションの使い方、などなど。そのためには、まずは楽譜の読み方を習ったり、教習所で交通法規や基本操作を勉強したり、取扱説明書を読んだりします。

ジョン・R・アンダーソン(John Robert Anderson, 1947年ー)というカナダ生まれのアメリカの心理学者は、そのような「技能の習得」をモデル化しました。彼は、楽譜の読み方や、交通法規、歴史の年表など、ある事柄に関する知識(Knowing-what)で言語化しやすいものを「宣言的知識:declarative knowledge」と呼び、体が勝手に動くような「やり方」に関する知識で言語化しにくい、でも何かをするときに行動の一環として現れる知識(Knowing-how)を「手続き的知識:procedural knowledge」と呼びました。彼はこの二つの知識を別のものとして考えました。

例えば車を運転して、「次は右折だ。ウインカーをださないと・・」と思っても「ハンドル横のライトスイッチを下方向に動かして軽く押さえればウインカーが点滅するはず。」とは、初心者以外はなかなか思わないのではないかと思います。そのような知識は「宣言的知識」ですが、普段運転している人はそんなことを考えず、無意識に手を動かしています。私自身、運転中に曲がり角にくるとほぼ意識せずに手を動かしていることに気づきました。いったんそうなると、逆に学科テストで「説明せよ」と問われても、言語化することが難しいかもしれません。

このモデルでは宣言的知識は、練習によって手続き的知識に変わっていくと考えられています。外国語の学習も同じで、最初はその言語の文法や語彙を覚えるために意識的に繰り返し音読したり、文を書き写したりするなど、その言語を使うための情報を吸収します(宣言的知識)。その後外国人と話したり留学や仕事で海外にいくなどして、考えなくても言葉や表現がスラスラ出ていくと、宣言的知識も手続き的意識になっていきます。ただ、現在のように学校で習う英語が受験のための学科にとどまっている間は、きっちり吸収されたとしても、「宣言的知識」のままかもしれません。

また、その逆に、いわゆる「匠」的な職人さんには「どうやって出来るんですか?」と聞いてもうまく説明できない人もいるかもしれません。一方で、自分の技術はそこそこだけれど、人に説明したり教えたりするのが得意な人もいて、そういう人は宣言的知識が豊富なんだと思います。

また、手続き的知識は私でさえピアノを弾くときの「指の感覚」を何十年後も覚えているくらい、長続きします。また、こういった長続きする記憶のことは「長期記憶(long term memory)」と呼びます。

アメリカの心理学・認知科学の教授、アトキンソンシフリンは記憶のシステムを研究しました。彼らの示したモデルが「二重貯蔵モデル(multi-store model ), 1968」です。このモデルでは記憶として短期記憶(short-term memory)長期記憶(long-term memory)があります。

情報はまず視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの感覚登録器(sensory registers)で入力されます。その保持時間はわずか数百ミリから数秒。その次に選択された情報は短期貯蔵庫(short-term store)に入ります。保持時間は15~30秒。その後、長期貯蔵庫(long-term store)に入ります。短期貯蔵庫に入っているのが短期記憶であり、長期貯蔵庫に入っているのが長期記憶です。短時間貯蔵庫の情報はワーキングメモリ(作動記憶)とも呼ばれています。

短期記憶から長期記憶へ、どうやったら情報は転送されるのでしょうか。代表的な方法がリハーサル(rehearsal)です。何度も繰り返して短期記憶を維持する方法です。また、新しい情報と既に持っている知識を結びつけること、これを「精緻化(elaboration)」と呼びます。

リハーサルはまさにピアノを楽譜を見ながらコツコツ繰り返す作業のように、外国語なら音読したり、手で書いたり、おしゃべりしたりすることです。

宣言的知識も手続き的知識も長期記憶ですが、宣言的知識はさらに「エピソード記憶(episodic memory)」と「意味記憶(semantic memory)」に分かれます。外国語の学習ではほとんどがエピソード記憶に支えられています。私の個人的経験でいえばくじらのフランス語”balaine(バレーヌ)”は、私の強烈なエピソードに紐づけられていますが(エピソード記憶)、日本語のくじらは、ただクジラのイメージに重なっているだけです(意味記憶)。

様々な感覚器官に入る新しい情報は、その中から必要な部分を抜き取って短期貯蔵庫に運ばれます。これを「符号化(encoding)」といい、短期貯蔵庫に入ることを「貯蔵(strage)」いいます。一度長期貯蔵庫に貯蔵されればあとは「検索(retreaval)」て探したり整理したりできるそうです。年をとると「あれー、あれ、あれって何て言うんだっけ?」というのが増えますが、長期貯蔵庫に入っている情報はなかなか完全には消えないらしいですよ。(本当かな・・)

私は過去何度も受けた日本語教育の試験で、ほぼ毎年のように繰り返し同じような用語を眺めてきました。軽いリハーサルをしてきたけれど、ものにならず。そうして始めたのが、このブログ。今思えばこうやって文字にすることで私は今までパラパラ見てきた知識を長期貯蔵庫へ転送すべく、精緻化しようと書いてきたのだと思います。

しかし次の試験まで残り1週間になった今、再び過去問を見て愕然としています。全体の範囲に比べると、ブログで書いていることは結局ほんのごく一部。精緻化できたとしても少なすぎます。まあ、また落ちても落ちていなくても懲りずにコツコツ書いていこうと思います。(ため息)(鍋)

 

参考:第二言語習得論 アルク、新版日本語教育事典 大修館書店


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<ある通訳の日誌>詩の世界 詩のこころ 5

2021年10月16日

詩の世界 詩のこころ
橋爪 雅彦
1
フィッツジェラルド
もり りょう 訳
オーマー・カイヤム「ルバイヤート」四行詩

第一回
第二回
第三回
第四回

―第五回ー

■フィツジェラルドと友人カウエル(Cowell)
フィッツジェラルドには十七歳年下のカウエル(Edward Byles Cowell)という友人がいました。彼との交わりは、1844年ごろ(カウエル18歳)始まったといわれています。1850年ごろからフィッツジェラルドはこの友人からスペイン語の指導を受け、その後1852年からは彼よりペルシャ語の指導を受けました。

この友人カウエルが、オックスフォード大学のボドレー図書館にあったオーマー・カイヤムの四行詩「ルバイヤート」の古写本を発見、それを転写し、フィッツジェラルドに贈呈しました。その古写本に収録されていたのは158首、その中からフィッツジェラルドは75首を選んで翻訳しました。75首の初版は1859年に自費出版されました。

今、こうして私が論じているのは、この初版本の75首を森 亮が1941年に和訳したものです。

フィッツジェラルドはその後も改訂を続けました。
1859年 初版 75首
1868年 第二版 110首
1872年 第三版 101首
1879年 第四版 101首

1883年6月 74歳と数カ月の寿命を終えました。
彼の死後、第五版が出版されました。彼のルバイヤートを論じる人たちは、初版から第4版までを頻繁にとりあげ、第五版はほとんど取り上げません。
そしてよく翻訳されるのは、初版、第二版、第四版です。第三版は第四版とよく似通っているため翻訳者たちは第四版を選び、第三版はあまり翻訳されません。
第五版については、まれにしか翻訳されませんが、日本では、矢野 峰人が五版101首の全訳をしています。

■フランス人J.B.Nicolasの出現
1867年 インドに領事として滞在していたフランス人ニコラ(J. B. Nicolas)がフランスへ帰国し、オーマー・カイヤムの詩をフランス語・ペルシャ語原典双方の対訳で出版します。
フィッツジェラルドがカイヤムを訳して以来、彼以外の人が試みた初めての訳です。テヘラン版テキストを使い、原詩は下記の右ページにみられるようにおそらく四行詩と思われますが、ニコラは散文詩の形で全464首を仏訳しています。


参考までに第448歌のページを載せます。
左ページがフランス語訳、右手ページがペルシャ語原文です。(ペルシャ語はアラブ文字を使って表記されています。ページの下段には、ニコラの注釈がフランス語で書かれています。)
(LES QUATRAINS DE KHÈYAM Notes du Mont Royal. )より

フィッツジェラルドが友人カウエルより寄贈されたボドレー図書館蔵のウズレー写本が全158首でしたから、このニコラが訳したテヘラン本は相当な数と云わねばなりません。

さきほどのフィッツジェラルドの初版第十一歌は、前回引用したマッカシー版第449歌によく似ていますが、ニコラが訳したテヘラン本では第413歌と第448歌にほぼ相当します。
ほぼ相当という意味は、似てはいるが完全な一致ではないという意味です。

フィッツジェラルドは、自分の感性で、ある語は削り、ある語は活かし、あるいは二つの詩を融合したりで、全体の意味合いも多少変わってきていますが、カイヤムの本質は崩さないというスタンスでの訳業です。
私自身、ペルシャ語は分かりませんが、多くの専門家の言葉を借りれば、ニコラはペルシャ語原詩に忠実に訳していると云われています。

J. B. Nicolas (413歌)
Ce que je demande c’est un flacon de vin en rubis, une œuvre de poésie, un instant de répit dans la vie et la moitié d’un pain. Si avec cela je pouvais, ami, demeurer près de toi dans quelque lieu en ruine, ce serait un bonheur préférable à celui d’un sultan dans son royaume.
(LES QUATRAINS DE KHÈYAM Notes du Mont Royal. www.notesdumontroyal.com)より

私が欲しいものは、ルビー色したワインの瓶、一遍の詩集、人生における休息とパンの半かけら。これらをもってどこか人気のないところで、友よ、あなたのそばに座るなら、それこそ王国における王(サルタン)よりも幸せでしょう。

参考までに、このニコラのフランス語訳413歌を今度はこれを英訳したFREDERICK Baron Corvoの訳を掲げます。

All that I ask is a Flagon of rubious Wine, a lyrick Biblaridion, the Half of a Leaf, and an instant of Rest in Life. If, with these, I might dwell in some Ruin, near thee, o Lover o’ me, my Bliss would be préférable to that of a Sultan in his Kingdom.
(「The Rubaiyat of Umar Khaiyam」Scholar SELECT published by Wentworth Press, an imprint of Creative Media Partners. Support creativemedia.io)より
(上記FREDERICK の英訳のなかで、Biblaridionという言葉に少々戸惑いました。英語でもフランス語でもなく、調べてみると、どうやらギリシャ語系の言葉で、「小さな本」を意味しているようです。lyrick Biblaridionは「小さな抒情詩集」とでも訳すべきなのでしょう。)

J. B. Nicolas (448歌)
Lorsqu’on possède un pain de froment, deux mèns de vin et un gigot de mouton, et qu’on peut aller s’asseoir avec soi une jeune belle aux joues colorées de teint de la tulipe, oh!c’est une jouissance qu’il n’est pas donné à tout sultan de se procurer. (LES QUATRAINS DE KHÈYAM Notes du mont Royal www.notesdumontroyal.comより)

小麦のパンと二マンのぶどう酒と羊のもも肉を持つときは、そしてまたチューリップ色の頬をもつ乙女とともに自らが座る時、ああ、これはいかなる王侯(サルタン)も手に入れることができない喜びだ。
(注:マンはペルシャの重量単位。800グラムから3,000グラムぐらいに相当すると云われている。)

ここでもFREDERICK Baron Corvoの訳を掲げます。

He, who hath a wheaten Loaf, a Dish of Mutton, and two Measures of Wine, can go and rest near some ruin with a youthful Lover whose fair Checks glow with the Tinct of Tulips. Ah, not every Sultan may achieve such Joy! 
(「The Rubaiyat of Umar Khaiyam」 Scholar SELECT published by Wentworth Press, an imprint of Creative Media Partners. Support creativemedia.io)より

英語は詩的な言語ですね。ニコラのフランス語訳に比べると、なんというか、フランス語は人工的で古典的な形式を踏襲していて、理屈っぽい印象ですが、フレデリックのこの英語となると、なにか言語として自然な感じがしてきます。しかもインパクトは強烈です。
Ah, not every Sultan may achieve such Joy!(どんな王侯(サルタン)もこんな喜びは味わえないだろう!)

さてフィッツジェラルドの第十一歌に戻りますと、ニコラの原文に忠実な訳を見れば、小麦も消えていますし、マンという重量の単位も消え、羊のもも肉も消え、チューリップ色した頬も消えています。もちろん最後の王侯(サルタン)も消えています。
フィッツジェラルドは、自分の感性を信頼し、19世紀イギリスの感覚に合致した風に詩を組み立てなおしたに違いありません。そこが翻訳というよりも翻案という所以です。

でもフィッツジェラルドの英訳とニコラの仏訳を比べてみると、あきらかにフィッツジェラルドの訳詩が19世紀末から20世紀にかけて全世界の読者を魅了したことがよくわかります。彼の感性の普遍性がもたらす翻案に全世界の読者は完全な共感を示したと云ってもいいでしょう。

それはたとえば、「羊のもも肉」と言っても、やはり日本でも「おやっ」と思います。
中近東の世界では、最高の御馳走と云われている「羊のもも肉」も、日本では「なんだ、それ」といった感覚で、詩のなかにこの言葉が出てきただけで、詩が台無しになる危険があったといってもいいでしょう。それはヴィクトリア朝時代のイギリスでも同じで、また当時のアメリカやその他のヨーロッパ諸国でも同じだったでしょう。


(羊のもも肉 アラブ世界では最高の美味として絶賛される料理です。この塊は結構大きなもので、ニンジンやサヤインゲン等に覆われていて塊のサイズが見えにくいのですが、右手のナイフのサイズと比べてみればこのもも肉の大きさがわかります。於セネガル国ダカール市のレストランにて)。

戦後 1947年(昭和22年) 小川亮作が「ルバイヤート」のペルシャ語原典からの翻訳を出版しました。今でも岩波文庫に収められており、一般の読者は、この小川亮作の訳詩で、オーマー・カイヤムを知ったに違いありません。フィッツジェラルドの初版第十一歌に近いというよりは、むしろテヘラン版448歌に近いものは次の詩です。

小川亮作訳 ルバイヤート(第98歌)
一壺のあけの酒、一巻の歌さえあれば、
それにただ命をつなぐかてさえあれば、
君とともにたとえ荒屋あばらやに住まおうとも、
心は王侯スルタンの栄華にまさるたのしさ!

■フランス人ニコラ(J. B. Nicolas)に刺激されて
フィッツジェラルドはフランス語も堪能でしたので、すぐにNicolas訳のカイヤムを読んでいます。それに刺激されたのか、フィッツジェラルドは1868年第二版を出版します。

第二版では、先ほど掲げた第十一歌はどのような変化を受けているでしょうか。第二版では、第十二歌になっています。

―Edward Fitzgerald  ―Ⅻ― Second edition
(フィッツジェラルド第十二歌)
Here with a little Bread beneath the Bough,
A Flask of Wine, a Book of Verse ­ and Thou
Beside me singing in the Wilderness ­
Oh, Wilderness were Paradise enow!

第二版110首を全訳した竹友たけとも

藻風そうふうのこの歌の訳を下記に掲げます。
ここにして木の下に、いささかのかて
壺の酒、歌のひと巻 ― またいまし、
あれ野にてかたわらにうたひてあらば、
あなあはれ、荒野あれのこそ楽土ならまし。
(マール社 ルバイヤート 竹友藻風訳)

大きな違いは、第三行目「うたひてあらば」と仮定を表す助詞「ば」を使用し、第四行目の最後尾が「ならまし」と反実仮想を表す助動詞「まし」を使っています。
この「まし」は、言うまでもなく、動詞・助動詞の未然形を受け、現実の事態ではない状況を想定し、これこれの事態が起きたらいいなあと願望する気持ちの表明です。
つまり、この詩は、第一行目、第二行目、第三行目とも仮定となり、第四行目に至って、そうであったら楽土(パラダイス)であろうという想像の中の願望を歌っていることになります。

万葉集の時代、光明皇后の有名な歌を思い起こします。

我が背子と ふたり見ませば いくばくか この降る雪のうれしからまし
(光明皇后 万葉集巻8. 1658)
(あなたと二人でこの降りしきる雪を見ることができたなら、どれほどうれしい気持ちになるでしょう。)

この「ませば」と最後尾の「まし」によって、完全な仮定を意味しています。実際には、二人で見ていないわけです。二人で見たら、どれほど幸せでしょうという願望を歌ったものです。

さて、フィッツジェラルドに戻りますと、第二版第四行目の「were」は、仮定法過去の帰結節としての用法で、「were」はwould beとなります。(矢野峰人著 「近代英詩評釈」昭和10年刊 三省堂を参照)
フィッツジェラルドは第二版から第四版に至るまでこの用法を保持しました。もちろん第五版も同様です。

もちろん第二版の竹友藻風の訳も素晴らしいと思います。だが、こうなってしまうと、直接法現在の初版とは離れてしまい、私自身はどうあっても直接法現在の初版の歌が心底素晴らしいと思っています。

■再度「王国における王様よりも幸せ」
カイヤムにとっては、ワインと詩集と若き美女。
ひるがえって私たちの現実の中では、銘々がそれぞれの「王様よりも幸せ」の世界を持てればいいですね。いや持っている人をたくさん知っています。

私の近所の人で、自転車に乗って山や野にサイクリングに出かけるのが無上の幸せと言っていた人や、休日に河川敷の運動場で草野球をするのが最高の喜びであるとか、あるいはサッカーに興じたりまた見たりするのが無上の喜びであるとか、あるいはまた私の兄の一人は、麻雀に熱中するのが何よりの幸福とか、あるいはまた仕事で疲れた体を引きずりながら帰宅すると、愛犬が尻尾を振って出迎えてくれることが何よりだとか、また友人のひとりで、女性と関係するのが無上の喜びであるとか、あるいは「人生は、酒と女と金だ」と断言してやまない御仁もたくさんいます。

ひとそれぞれに自分の格別な世界を持っているわけです。

先日、ある会合で友人に会いました。聞くと、腎臓を手術したそうで、二つある腎臓のうち、一つを除去したとのこと。彼が言うのには、
「あの好きだった酒がまるで駄目になってね。まったく酒が飲めなくなってしまった。」
そこで私が、
「それじゃあ、女性の方も全く駄目なわけだ。」
彼はうなずいて
「女性も駄目だが、お金の方も稼げなくなってね。」
私は、
「それじゃあ、酒、女性、お金の三拍子が全く駄目とは、これは大変だね。」
彼は、
「それはそうなんだ。だが、いいこともある。鴨長明の方丈記を読んでいてね。方丈記の言葉が身にしみて迫ってくる。昔、学生時代は、「なんだか年取った爺(じじい)が、変な理屈をならべている」と思っていたけれど、いやあ、実に方丈記の言葉も、それに徒然草の吉田兼好の言葉も、今、この年齢で自分のこころに迫って来る。この世を去るまでは、彼らの言葉に耳傾けながら歩んで行きたいね。今や彼らを読むのが楽しみだ。」

これは良い楽しみですね。長い人生ですから、人間も歳をとると、若いころの楽しみ、たとえば、異性とのセックスに気も狂わんばかりに没頭する楽しみとか、あるいは恋の激情のなかで「時間よ止まれ」と叫んで抱擁を繰り返す喜びや、あるいはスポーツにあるいは他の何かに身も心も奪われて楽しみにふけりますが、肉体の衰えとともに、私たち人生の喜びも変遷します。

私自身が自分にも他人にも奨めるのが、古今東西の優れた人たちの書物を読むこと、一言で言うと読書の喜び、これは何にもまして比べ物にならないほどの喜びです。

私たちは、職業生活が長く続きますから、ともすると、職業上の専門文献や資料を詮索し、高度職業社会の知識と技術を身につけるわけですが、これは思いのほか「こころの糧(かて)」にはなりません。

古今東西の名作と云われるものには、私たちの「こころ」を揺さぶる何かがあります。名作とは、おそらく、天上界の神聖と私たち卑俗の世界を結びつけるメディア(媒体)と思われます。

これは若いころから少しずつ親しみ、年老いたころには、充分、古今東西の著作を読みこなし味わうことができなければなりません。

兼好法師は読書の喜びについて、
「ひとり灯のもとに文(ふみ)をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなる。」(徒然草 第十三段)と断言しています。

人それぞれがそれなりの格別な世界を持っていないと、せっかくの人生、「一度行ったら、二度と帰らぬ人生」(カイヤム)です。
―続くー

 

<めじろ奇譚>通訳さんのアフリカ滞在記

2021年10月15日

通訳さんのジブチ滞在生活 2021年9月 芹澤

とっても熱い国、ジブチ
弊社フランシールのフランス語通訳は主にアフリカ諸国でのODA業務に従事する事が多いです。
今回私もその様なお仕事でしばらく東アフリカのジブチに行ってまいりました。

市内から車で20分位走ったところ。こんな感じの土漠(砂じゃない砂漠)です。
アフリカのフランス語圏の国はその多くが西アフリカか中央部にあり、アフリカ大陸の上半分の左側に出っ張った部分に固まっています。その中で珍しく東アフリカ(右側)にあるフランス語の国がジブチやモーリシャス、マダガスカル(後の二つは島ですが)です。紅海、アデン湾に面していて周りをエチオピア、ソマリア、エリトリアに囲まれています。

ホテルから車でほんの5分、ジブチ港のふ頭です。
フランスの植民地だったことからフランス語とアラビア語が公用語になっています。日本ではソマリア沖の海賊などで知られていると思いますが、自衛隊が海外で唯一基地を持っているところでもあります。人口は100万ほどでその3分の2が国の名前にもなっている首都のジブチ市に住んでいます。年間降雨量が155mm(外務省サイトのPDFより)とすごく少なく、5月~9月の平均気温が摂氏38度ととてもとても暑いところです。

今回のお仕事はジブチの市街地に関係するものでしたので、市内を走り回ったり、関係官庁に伺ったりしていましたが、とにかく暑い。滞在しているホテルの部屋を一歩でたら(廊下でも)すでに暑い。建物の外にでようものならめまいがするぐらい暑い。暑いという言葉では本当に足りない、熱い、が正解です。太陽の光があっついのです。風が吹いていたらその風が熱風なのです。熱さが光りや風のかたまりになってこっちに押し寄せてくるのです。


ホテルのレセプションのマダム、気の良い人です。

泊まっていた部屋。これだけ見ると立派ですね。

1階だった部屋から見える光景 右側を見ると何とか写真としても見られる光景

私は以前西アフリカのモーリタニアの仕事をしていて何年か行ったり来たりをさせていただいていたのですがモーリタニアの首都のヌアクショットは街全体が砂の中、砂漠の中に建物が建っている感じで、飛行機から見ると砂の中に建物が建っていますが、ジブチの町は部分的には海よりも低くなっている様でイメージとしては、行ったことはありませんがオランダ?です。

外食しないコロナ禍におけるホテル生活とは?
中心街の繁華街も少しはあるのですが、このコロナ禍で外食もせず、また夜なんかは外に出ようにもレンタカーは帰してしまうので近場しか出れず、近くには中華レストランぐらいしかなく、そこもコロナでテイクアウトだけ、とかだったりで繁華街に行くことはありません。

となると食事はホテルの部屋でとります。家族経営のこじんまりとしたホテルに滞在していましたので、朝ご飯は毎日部屋に持ってきてくれますが、レストランはありません。昼や夜はパンと缶詰、とかスーパーで買ってきた食材で済ませます。私はもう日本食を食べなくても全く平気になってしまったので食べられるものならなんでも良いので、簡単です。


周りに余り人気のない町工場の様なパン屋で買ってきたフランスパン、これで日本円で20円位でした!
スーパーはフランス系が多いのか、フランスのスーパーの品ぞろえとあまり変わりません。ただ、みんな輸入品なので高い!4つくっついたヨーグルトが1000円以上したりします。ただ、ジブチに工場があるものはそれなりに安いですが、乳製品やコーラとかぐらいしかジブチ製は見かけませんでした。ただ写真に撮ったフランスパンは町工場の様なパン屋さんでしたが一本で20円位でめちゃ安く、おまけに作り立てでめっちゃおいしい。外はカリっと中はふわふわ。最高のフランスパンでした。しかし、アフリカのフランスの元植民地の国はどこもお米とかキャッサバとかソルガムといった穀物が主食なのですが、どんな田舎にいってもパンだけは一杯売っていて、それがまたおいしいのです。東京には一杯こだわりのパン屋さんがありますが、それよりはるかにおいしい!なんででしょうね。

水がしょっぱい!いがらっぽくて、石鹸の泡の全く立たない水道水!
前述の様にジブチはものすごく暑いのです。それも大変なのですが(といってもホテルにいる限りは快適ですが)、その快適なホテル生活で悩まされるのが水の問題です。私の行ったことのある国々は途上国で水道に問題があることが多いです。地方なんかだと水道も満足になく、井戸から水をくむのが当たり前、というところも結構あります。ホテルの部屋にもトイレや洗面所にバケツが置いてあり、部屋に入った瞬間、この町には水の問題があるんだな、と判るところもあります。そんなところではまず蛇口をひねってみて水が出れば置いてあるバケツを一杯にします。バケツは断水時に使え、という事なのです。

それに対しジブチのホテルでは蛇口をひねれば水はでます。私の部屋の外に水タンクらしきものがあるので、それに水をためて断水に備えているのでしょうか。

部屋の窓を開けて正面に見えるのは。。。水タンク?いやいや出てくる水が熱いのです。。。
ただ、水道の水が問題なのです。しょっぱいだけでなくいがらっぽいのです。良くフランスに旅行したら水道の水は飲むな、なんて言われます。まあ私の住んでいたフランスの地方ではレストランでは「ミネラルにする?水道水で良い?」って聞かれ「水道水でいいです」、と言えば冷蔵庫で冷やした水道水を出してくれます。普通に飲めます。でもアフリカの途上国では水道の水が出たとしても、うかつに飲むわけには行きません。何が入っているか判らないからです。上水道は植民地時代に整備されたものがそのまま、なんてところも多く、茶色っぽい水が出たりするのでうかつに口にするとおなかを壊します。私はある国で肝炎になりましたし。

だ~が~、ジブチの水はしょっぱいのです。まるで海水がそのまま水道から出てくるようです。淡水化処理に失敗した水のようで、いがらっぽいのです。口に入れた感じ硬水のようですが、硬水か軟水かなんてのは問題になりません。しょっぱいという事は、石鹸が泡立たないのです。硬水でも泡立ちは悪くなりますが、そんなの問題では無く洗濯しても日本から持ってきた固形の洗濯石鹸が泡立ちもせずみるみる小さくなっていきます。洗濯しているシャツとかはごわごわするだけで泡も立ちません。それだけではありません。日中は暑いので当然お風呂に入りたくなります。でもバスタブなどというしゃれたものは高級ホテルでもなければありません。あるのはシャワーです。水道には水とお湯、などという区別はありません。「お湯?それはなんですか?」、というレベルで当然の様に水しか出ません。でも問題はありません。まず外はめちゃくちゃ暑いので水シャワーで問題無い事、それより、出てくる水はしばらくすると全部お湯になるのです。私の部屋の外にでかいポリタンクが設置してありましたが、それが太陽にさらされているので水イコールお湯になるのです。幸いにも熱すぎることはありませんでしたが全てお湯なのです。それよりほぼ海水シャワーという事はやっぱりシャンプーなんかも全く泡立ちません。髪の毛は当然ごわごわになります。海水浴場にある水シャワーでずっと過ごすようなものなのです。私はもうそんなのに慣れてしまったのであきらめがついてそれでもシャワーを浴びればさっぱりする、と喜んでシャワーを浴びていました。

お湯は無く水しか出ない洗面台。出てくる水はやっぱりしょっぱい。
そしてやっぱりお湯はないシャワー。でも御心配なく。出てくる水はすぐにお湯になります。

でも、毎日ゴワゴワの髪の毛にやっぱりちょっとごわごわのシャツとか着ていると日本に帰ってきた日のシャワーはお湯ってこんなに気持ち良いんだ、と再確認させて頂けます。日本のお風呂ってつくづく良いものですよね。
(続く?)

<めざせ語学マスター>高コンテクスト文化と低コンテクスト文化

2021年10月12日

日本は高コンテクスト文化で、西洋は低コンテクスト文化である、と言ってすぐにピンときますでしょうか。高コンテクストな文化とは、言語化されたメッセージより文脈を重視し、意図を明確化しないで互いに相手の意図をよみとるような文化です。

例をあげます。
あれは15年以上も前のこと。私は翻訳のことでお客様に呼び出されました。翻訳の内容に問題があるとのこと。お客さんのところにつくと、相当お怒りの様子。
「すみません、翻訳についてどの点に問題がありましたでしょうか。」
「ここだよ!」
文章の一部を指さして仰います。
「この文章のどこが・・・」
「よく読んでよ!行間が全く訳されていないじゃないか!」
「・・・!」

もう一つの例です。
お客様へ見積書を送り、いかがでしょうかとお電話をかけたときのこと。あの時も私はまた20代で若かったというのもありますが、こんなやりとりがありました。
「お送りした見積りの件、いかがでしたでしょうか。」
「うーん。結構・・です。」
「あ!ありがとうございます!かしこまりましたー。」
電話を切り、「受注できましたー!」と喜んでいると、同じお客様から連絡がありました。
「あの、”結構です”、というのは、今回はお断りする、という意味だったんですが、ちゃんと伝わっていますでしょうか・・・。」
「・・・!」
その後、あまりに喜んでいた私に申し訳ないと思ったのか少しお仕事をいただく、という幸運がありましたが、それもまあビギナーズラックというもの。

では20歳でフランスに留学した私の現地での経験もお伝えしてきます。
私はよくホームステイ先の子供の友達(女子高生など)が集まる中に混ぜてもらって遊んでいました。
「えー、素敵なアクセサリー。見せて見せて」
とみんなで見せ合っていたとき、イヤリングがボロッと壊れた瞬間がありました。
瞬間、その場にいたみんなが口をそろえていいました。「C’est pas ma faute !(私のせいじゃないよ)」

タイミングを逸した私はその言葉を一度飲み込みましたが、やはり少し遅れて言いました。
「私のせいじゃないよ・・・。」

日本語はすでにわかっていることは言わない「高コンテクスト文化」の言語です。フランス語は「Ce qui n‘est pas clair n’est pas français.(明晰ならざるものフランス語ならず)」というだけあって、石畳のようにすべて言い尽くす、低コンテクスト文化。文脈より言語として発せられたメッセージそのものを重視します。言葉にしない内容は伝わりません。だから自分の責任ではないときもはっきり言いますし、日本人のように「ま、だれのせいでもないよ。みんなで直そう。」なんて空気を読んだ発言もしません。こういったフランスのような低コンテクスト文化に浸った後で日本文化に戻ると、よくあるのが「あの人は結構きつい。物事をはっきり言う。さすがフランス帰りだね。」なんて言われてしまうケース。最近は日本でも一緒に生活する外国人も増えたり、「忖度」が悪者呼ばわりされたりしたこともあり、日本の高コンテクスト文化も少し中和されているのかなと思いますが、まだまだこの文化は消えないと思います。

文化の差を高コンテクスト、低コンテクストで示したのはアメリカの文化人類学者、エドワード・T・ホール(1979)です。中国、日本、アラブ諸国、ギリシャ、スペインなどは高コンテクスト文化、スイス、ドイツ、スカンジナビア諸国、アメリカ、フランスは低コンテクスト文化と分類しました。ベトナム語やカンボジア語も、わかりきっていることはあえて言わない言語です。アジア全体に似たような傾向があるのかもしれません。

そういわれると、弊社の別ブログ、「ある通訳の日誌」~詩の世界~その3で、フィッツジェラルドの詩が森亮訳の日本語の詩であるときと、フランス語に訳されたあとでは同じ詩でも差が生じてしまう、とありましたが、それも高コンテクスト文化、低コンテクスト文化という観点から見れば仕方ないのかなとも思えます。

また、機械翻訳(AI翻訳)は低コンテクストの言語である英語やフランス語から日本語にするときは上手くいくことが多いのですが、高コンテクストの日本語からそれら低コンテクスト文化の言語に訳すときはその「言い尽くされていない部分」の翻訳にミスが生じることが多い気がします。機械は発出されたデータを変換するのは得意ですが、ないものを「想像して補う」ことは苦手で、現在はこれを何とか克服しようとAI翻訳などの技術者が研究を重ねているんだと思います。

言わない部分を想像して会話する、という日本人の文化を思うとき、私はいつも源氏物語絵巻などに描かれている雲を思い出します。「もしやパースがおかしくなったら雲でごまかしたんじゃ・・・」とも思える、あちこちにある雲。そして雲の下の様子は「そこは、まあ想像して」というのは何とも日本人っぽい気がします。(鍋)

参考:第二言語習得論 アルク、新版日本語教育事典 大修館書店


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言語は12歳までに習うべき!? 臨界期仮説について
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文を分ける 文節&語&形態素
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来日外国人の激減について
学校文法と日本語教育文法
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<めじろ奇譚>私が経験したカルチャーショック(沖縄編)

2021年10月7日

私が経験したカルチャーショック

私が最初に経験したカルチャーショックは、海外に行った時ではなく(物理的には海外だったのだが)、日本国内でだった。それはある日東京から沖縄に転勤になったことで起きた。

沖縄に関する知識も非常に貧相なものだったし、もちろん異文化圏に来たという意識は微塵も持っていなかったのだが、数ヶ月経つと、職場でも私生活上でも、得も言われぬストレスが積もっていた。接する沖縄の人の態度に勝手に腹を立てて、「何で沖縄はこうなんだ!」と不満に思った。事例を言い出すときりがないが、何事にも沖縄の人は非常に閉鎖的で、外部の人間には冷たく思えた。観光で1週間程度の滞在しかしない人は、恐らく全く逆の印象を抱くのではないだろうか。それを、あまりいい趣味ではないのだが、同じく本土から赴任して来ていた人たちと愚痴を言い合って発散していた。その愚痴仲間(?)に、既にアフリカで長期滞在の経験がある先輩がいた。

その先輩曰く、「アフリカ人のように、見た目が自分たちと明らかに異なっていると、頭の中で考えていることも当然自分たちと違うだろうな、と身構えることができるが、見かけが自分たちとあまり変わらないと、自分たちと同じ思考形態なんだ、と勝手に(自然に)頭の中で思い込んでしまうから、(カルチャーショックだとは気づかずに)余計にストレスが溜まるんだ。」

この見解は、今でも大いに的を射ていると思っているので、その先輩には無断で、勝手に自分の意見のように拝借させてもらっている。

自分はその後、東アジアの2ヶ国に滞在することになるのだが、この沖縄での洗礼が活きたのか(身構え過ぎたのかもしれないが)、沖縄ほど、カルチャーショックを感じなかったような気がする。

最後に、カルチャーショックとはちょっと違うかもしれないが、中国で体験した思い出を一つ書いておきたい。ニイハオ、シェシェ程度しか知らずに、北京で語学研修を始めて数ヶ月後に、地方旅行に出かけた時のことだ。もうン十年前のことなので、何に困ったのかは忘れたが、何かに困って近くの人に拙い中国語を使って必死で助けを求めた。「それは○○だよ」と教えてくれたようなのだが、○○の意味がわからなかったので、「〇〇ってどういう意味ですか?」と続けて尋ねたら、「〇〇もわかんないのか?じゃあどうしようもないな。アッハッハ」と立ち去られてしまった。ここで言いたいのは、中国人は日本人を馬鹿にしているとか、冷たいとかそういうことではない。日本だったら、外国人への対応として、最初から逃げる人はいるかもしれないが、恐らく、日本語が不自由だからといって、笑ったりはしないのではないだろうか。いろいろな解釈はあり得るだろうが、日本人は、英語国民でない外国人に対してさえも「英語ができなくて申し訳ない」というある意味滑稽で卑屈な態度が身に沁みついているのに対し、中国では、外国人だろうが、中国にいる以上、中国語ができなくてどうするのかという、ある意味自己過信のようなものを感じる。結構両極端な文化(というか自言語への態度)ではないだろうか。お互いに折衷を考えてもよいのではないか。

 

<めざせ語学マスター>バイリンガリズムについて②

2021年10月5日

頭には浮かんでいるのに、言葉がわからない・・・。
この経験で私の一番の思い出は、「くじら」です。
通訳を始めたばかりのころ、初めての入札会の通訳、続けていった省庁への表敬訪問。緊張してガチガチの私に「大丈夫、ボンジュールっていうだけだよ」とセネガル人の客人は気遣ってくれましたが、訪問先には多くの見学者と白いカバーのかかったソファー。緊張ガチガチのまま会議開始。プロジェクトの話が一通りすむと、「そういえば国際捕鯨委員会が始まりましたね。」という話題に。
”ほ、捕鯨?くじら?くじら??なんていうの?”
試しに「ホエール・・・(whale)」と言ってみるが局長の表情は「?」。
「お、大きな哺乳類の魚です!」
というと、「ああ、バレーヌ(baleine)ね!」
納得してくれたようです。
その先もしばし会話が続いたあと、私の中でかなりの恐怖が生じます。
”まさか、片方はクジラだとおもっていて、片方は他の魚の話をしていたら・・・”
そこで勇気を出して「すみません、ちょっと辞書で確認させていただけますでしょうか。」と会議の最中にもかかわらず、辞書をとりあげて確認。ほっとして先を続けました。
「ほら、大丈夫だったでしょ。ただの挨拶だから。」
という客人の横で、ぼろ雑巾のようになりながら、私はこのクジラという言葉は一生忘れないだろうと思いました。

なぜこのことを思い出したかというと、今回の話題がバイリンガリズムのメカニズムについてだったからです。先日のバイリンガリズムでは、バイリンガルの種類についてお伝えしましたが、今回はバイリンガリルがどうやって複数の言語を操るのかを研究したお話について。片方の言語でわかっていて、他の言語では語彙として入っていない情報がある・・・こういうシチュエーションを、研究者はどうやって調査したのか。

カミンズ(James (Jim) Patrick Cummins: 1946年 アイルランドのダブリン生)は現在もトロント大学オンタリオ教育研究所の教授です。第二言語として英語を学ぶ学習者の言語発達・リテラシー発達の研究に取り組んおり、バイリンガリズムにおける認知機能や学力について、1979年に、伝達言語能力(Basic Interpersonal Communicative Skills: BICS)と学力言語能力(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)という二つの能力を提唱しました。


https://www.oise.utoronto.ca/ctl/Faculty_Profiles/1464/James_Cummins.html

まずは彼が提示した、二つのバイリンガルのモデル、
分離基底言語能力モデル(Separate Underlying Proficiency Model: SUP)
共有基底言語能力モデル(Common Underlying Proficiency Model: CUP)という二つのモデルを見ていきたいと思います。

分離基底言語能力モデル(SUP)
(分離深層能力モデルとも言われるときもあります。)
1920年代から 1960 年代までは、 欧米を中心に バイリンガルは知恵遅れ、学業不振、情緒不安定などと結びつけて考えられており、バイリンガル教育は否定的に考えられていたそうです。バイリンガルの頭の中には、第一言語(L1)の風船と第二言語(L2)の風船があるように考えられていました。

例えばアメリカの移民の子供の場合、母語と英語は切り離されているため、母語を通して学習された内容や技能は英語で学習された内容に転移されず、また英語を通して得た知識も母語には反映されないと思われていました。二つのことばの同時習得は子どもの学習能力を二分するから思考力も語学力も弱ってしまう・・、こうした考え方をカミンズは分離基底言語能力モデルと呼びました。

しかし、その後、フレンチ・イマージョン・プログラムなどの実証により、バイリンガルでも認知的に有利な点が多く指摘され始めます。早期の外国語教育の導入や学習者の母語と外国語を併せて学習するほうが、モノリンガル教育より優れているという事例が報告されるようになりました。

このような分離基底言語能力モデルに対してカミンズが提唱したのが、共有基底言語能力モデル(Common Underlying Proficiency Model: CUP)(共有深層能力モデルともいいます)でした。このモデルが分離基底言語能力モデル(SUP)と違うのは、母語(L1)で学んだ内容や獲得した能力が、もう一つの言語(L2)に転移する、という点です。カミンズは第一言語の運用能力と第二言語の運用能力は、表面的には流暢さや語彙数が違うので別々の言語運用能力に見えても、実は氷山の水面上に見える2つの頂にすぎず、水面下では一体であると考えました。

カミンズは、バイリンガル教育の評価、年少者の移民時の年齢と第二言語習得の関係、家庭における2言語使用の子供の成績などについて研究が行い、共通基底言語能力モデルに基づく相互依存の仮説(発展的相互依存仮説:Developmental Interdependence Hypothesis)を提唱しました。母語の基礎 で第二の言語が育ち、また第二の言語を持つということが、言語そのものに対する メタ 認識を高めるというものです。

また、カミンズは子供におけるバイリンガリズムには、3つの段階が存在するとしバイリンガルを3つの段階に分類しました。

3層目:均衡バイリンガル
2層目;弱い均衡バイリンガル(ドミナント・バイリンガル)
3層目:限定的バイリンガル(ダブル・リミテッド・バイリンガル)

これを敷居理論(Thresholds Theory)と呼びました。

その後、スウェーデンに住むフィンランド語を第一言語とする移民の子どもを対象とした研究で、スウェーデン語とフィンランド語の両方で日常会話の流暢さに問題がないのに対して、学校の教科学習などの場面においては困難を来すという現象が報告されると、カミンズはこの現象を説明するために伝達言語能力(Basic Interpersonal Communicative Skills: BICS)学力言語能力(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)という2つの能力を分けて説明しました。

伝達言語能力(Basic Interpersonal Communicative Skills: BICS)
例えば、スポーツや、買い物、友達との日常会話のときに必要な言語の能力です。

生活場面で必要とされる言語能力で、子供たちは友人との会話や買い物に必要な表現など、日常生活に必要な語彙や流暢さを早い段階で習得します。

もう一つの能力は教科の学習場面で必要とされる言語能力です。
学力言語能力(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)


友人との会話はできても、また流暢に日常会話ができても、教科の学習に参加するためには、分析・統合・類推などの認知処理を支える言語能力が必要となります。

彼はこの二つの能力を下のような4つにわけて示しました。

高コンテクスト・コミュニケーションとは、子供が活用できるコンテクストの助けが高い場合のコミュニケーションのことで、ボディランゲージや物をさしたりして、メッセージのやりとりを理解している場合です。

低コンテクストコミュニケーションとは、子供が活用できるコンテクストがなく、文中の単語のみが意味を伝える場合のコミュニケーションのことで、本などを読んだり、説明を聞いたり、言語形式だけで内容を理解しなければならない場合です。

このように、カミンズが言語の能力をBICSとCALPに分けたことは、その後のバイリンガル教育・政策に大きな影響を与えました。それまでは、移民の子供たちの英語能力をどうやったら早く向上させられるのか、という点に焦点が当てられていましたが、カミンズは移民の子供たちの母語の重要性に注目しました。母語教育が英語の習得を遅らせるのでは?、家庭での英語以外での会話が学習を遅らせるのでは?と心配する保護者や教師に、母語教育が英語の向上にも効果があることを示したのです。また、日常会話がスムーズだから学習もできるわけではないこと、アカデミックな研究ができる人に会話が苦手な人がいることもモデルにより説明することができました。

BICSとCALPの例です。

伝達言語能力

(Basic Interpersonal Communicative Skills: BICS)

 学力言語能力

(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)

口頭での会話に使われる社会的、会話的な言語能力です。社会言語ともいわれ、様々な合図がリスナーに提供される高コンテクストコミュニケーションに使われます。どんな文化的背景のある子でも2年程度で習得できます。中でも英語の学習者は:
 ジェスチャーなどの非言語的コミュニケーションを理解できるようになります。
 相手のリアクションを読み取れるようになります。
 イントネーションや協調などの音声による合図を理解できるようになります。
 写真や具体物など実物を見て読みとれるようになります。
学校の授業など、低コンテクストコミュニケーションで使われる言語。英語の学習者には授業を理解するのに5年から7年習得にかかります。

非言語的な要素がありません
フェイストゥフェイスのインターアクションが少ない会話です。
 抽象的な学習言語を使います。
読解力が求められます
理解するためには文化/言語的知識が必要になります。

通訳という職業は、冒頭の「くじら」にフランス語の「baleine」や英語の「whale」を張り付けていくように、片方の言葉でわかっている概念に、辞書などの助けを得ながら、別の言語の語彙をラベル付けしていくような仕事です。しかし、通訳が扱うコミュニケーションはほとんどが低コンテクストコミュニケーションで認知的負担も重いもの(CALPの範囲)ばかり。両方の言語が表面的にうまいからといって誰でも通訳ができるわけではなさそうです。

また、日本で働く外国人が増えている今、今後母語が日本語ではない子供も増える可能性があります。「ああ、あの話だ、家で使う言葉ではわかる。でも日本語でなんていうんだろう・・知っているけれどテストでは答えられない・・」と悩む子供も増えるかもしれません。もし先生から「あんなに日本語がうまいんだから授業もわかっているはずでしょう。」と判断されて放置されてしまうと、学業から取り残されてしまう悲劇も起こりそうだと思いました。(鍋)

参考:第二言語習得論 アルク
言語的マイノリティ児童の学習言語(英語・継承語)を育てるカナダの公立小学校の実態
鈴木崇夫
Cumminsの相互依存モデル、BICSとCALPについて 旅する応用言語学
Four differences between BICS and CALP (and why) CLIL media

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<めじろ奇譚>昔あった国のことについて

2021年9月30日

「♪昔あった国の映画で 一度観たような道を行く」という歌詞がある曲に出てくる。もちろん、昔あった国と言っても、古今東西数多くある。知る限り作詞者は明確にはしていないようだが、どうもソ連のことを指しているというのが通説らしい。世界に映画が普及した以降になくなった国と言えば、他にもユーゴスラビアとかチェコスロバキアもあるかと思うが、取りあえずソ連と信じて話を進めよう。今回は、この今はなきソ連の名称にまつわる「ちょっと不思議」にお付き合いいただきたい。
まず、ソ連の正式名称を、日本語と本家のロシア語、そして西欧語の代表として英・仏語で書いてみよう。

日:ソビエト社会主義共和国連邦(略称 ソ連)
露:Союз Советских Социалистических Республик (略称СССРまたはСоветский Союз)
英:Union of Soviet Socialist Republics (略称USSRまたはSoviet Union)
仏:Union des républiques socialistes soviétiques (略称URSSまたはUnion soviétique)

1 固有名詞の含まれない国名?
まず注目したいのは、「ソビエト」である。カタカナで表記されるためか、我々はこれを、「インドネシア」とか「ザンビア」と同様の固有名詞と思い込んではいないだろうか。この点については、原語のсовет をそのまま音写しているだけの英・仏語の話者も同様の誤解をしている可能性があるのではないだろうか。
ロシア語のсоветは、そもそも固有名詞などではなく、日常的やり取りでも使用される単語で、基本的な意味は助言、そこから転じてこの場合は(助言をし合う)評議会といった意味合いだ。つまり、この国の名称は、「評議会(совет)(形式の)社会主義(体制の)諸共和国のユニオン」ということだったのだ。
そのため、日・英・仏語のように、そのままソビエト、Soviet、sovietと音写せずに、評議会の意の自言語に訳してこの国を表現している言語もいくつか存在する。
今でこそ反露・親西欧的な姿勢がクローズアップされがちなウクライナだが、ソ連時代は、少なくとも表面的にはロシア(人)とも密接な関係で国を構成していた一員だ。しかもウクライナ語はロシア語とも系統的に非常に近い関係にある。そのウクライナ語では、ソビエトを「ソビエト」とは呼んでいなかったと聞けば、不思議な感じがしないだろうか。ソ連に当たる言い方は、ウクライナ語ではРадянський Союз だ。радянськийはрадаの形容詞形で、ドイツ語のRatにつながると言えばおわかりいただけるだろうか。

2 連邦?
次に問題したいのは、上でわざわざ「ユニオン」として「連邦」としなかった点に関わる。まず、日本語で連邦と言えば、英・仏語であれば、federation、fédérationという語が真っ先に浮かぶのではないかと思う。ロシア語でもфедерация という語はあり、現に現在のロシアの正式名称は、
日:ロシア連邦
露:Российская Федерация
英:Russian Federation
仏:Fédération de Russie
だ。
結論を先に言うと、上で仮に「ユニオン」とした部分の原語союз を、英・仏語では適切にunionとしたが、日本語で「連邦」としたのは問題があったのではないか、ということだ。
союзというのは、あの国で輝いていた宇宙開発分野の話題でよく聞いた、ロケット名ソユーズ○号というあれだ。つながり、結合、組合といった意味で、文法用語の接続詞の意でも使われる。実は、日本語にも、「ソ連」の他に、「ソ同盟」という言い方もあったのだが、ご存じだろうか。こちらの方が、より適切な訳語と思われるのだが、残念ながら、あまり普及しなかった。
連邦と「ユニオン」で政治体制的にどう違うのか、ということにはここでは立ち入らないが、少なくとも、あえてфедерацияを使わなかったということは、一般的な理解の連邦ではなかった(実態はともかく、思想としては)ということになる。

3 何のユニオン?
更に付け加えると、「諸共和国のユニオン」、つまり(1956年から、バルト諸国が一足先に分離するまでは)15のソビエト(評議会)諸共和国のユニオンかという点が、ロシア語はもちろんのこと、英・仏語でも明快だ。この3言語では、「評議会(совет)(形式の)社会主義(体制の)諸共和国」という語が複数形で表現されており、それらのユニオンという語構成になっている。ところが日本語だと、ソビエト+社会主義+共和国+連邦と並列されていて、例えば最初のソビエトが共和国を修飾しているのか連邦を修飾しているのか曖昧だ。ぱっと読むと、(連邦という語はあるにせよ、)諸共和国が同盟を組んでいたということが陰に隠れて感知できない。単一の政体のように感じられてしまう。
この点も、日本でこの国の正確な姿を捉えるのに支障があったのでは、と思えてならない。

以上1~3で訳語の適否という面(と言っていいかどうかも疑問があることは承知の上で)からみると、あくまでも筆者の考えだが、日本語は3敗、英・仏語は2勝1敗ということになる。もちろん、西欧語の方が優れていて日本語は劣っているということでもなければ、ヨーロッパ語の概念を日本語に移せないということでもない。ただ、このような重要な概念を移し替えるに当たっては、もっと慎重であってしかるべきであったのではないか、という気はする。

さて、冒頭で「昔あった国~」という歌詞を紹介したが、それと関連があるのかどうかはよくわからないのだが、「甘い手」という別の曲ではバックに、この昔あった国の映画シーンをサンプリングした男女のロシア語でのやり取りが聞こえてくる。ぜひ一度聞いてみてほしい。(一老いぼれ職員)

(小文の見解は筆者個人のものであり、必ずしも㈱フランシールの公式見解ではありません。)

<めざせ語学マスター>バイリンガリズムについて

2021年9月28日

学生のとき、両親の都合で幼いときに海外に行っていた、というクラスメートが羨ましいと思ったことはありませんか?または、お父さんかお母さんが外国出身だという人にあこがれを抱いたりしませんでしたか?私にとって、バイリンガルはあこがれでした。

翻訳会社に入ってからも「日本語ができていないとちゃんとしたバイリンガルにはなれない」とか、「一度に二か国語を覚えるんじゃなくて片方の言語がしっかり身についてからもう一方を勉強したほうがいい」など、都市伝説的な話をよく耳にしました。今回取り上げるのはそんなバイリンガルについての理論です。

まずは言葉の定義から。
セミリンガル(semi-lingual):二つの言語のうちどちらの能力も十分でない人
モノリンガル(monolingual):一つの言語しか使用できない人
バイリンガル(bilingual):二つの言語がある程度同等に試用できる人
マルチリンガル(multilingual):三つ以上の言語を流暢に使う能力を持っている人
バイリンガリズム(bilingualism):二つの言語を流暢に使う能力を持った人が実際に2言語を運用することや社会の中で二つの言語が使用されること

さらにバイリンガルは下のように分類されます。

① 二つの言語の言語能力による違い

均衡バイリンガル(balanced bilingual )と偏重(不均衡)バイリンガル(unbalanced bilingual)

均衡バイリンガルは2つの言語をほぼ同じバランスで、ネイティブのように使える人のことです。
偏重バイリンガル(不均衡バイリンガルと呼ぶこともあります)は、2つの言語の能力に差があって、どちらか一方のほうが優勢であるような場合です。

    

 (上図)均衡バイリンガル(balanced bilingual )

(下図)偏重(不均衡)バイリンガル(unbalanced bilingual)

② 二つの言語を習得する順番の違い

連続バイリンガリズム(successive bilingualism)と同時バイリンガリズム(simultaneous bilingualism)

子供が家庭で第一言語を習得し、その後小学校などで第二言語を習得してバイリンガルになる場合を連続(あるいは継続/後続性)バイリンガル(consecutive bilingualism/sequential bilingualism)といい、国際結婚などで母親と父親が別々の言語で話しかけて育てた場合は同時バイリンガル(simultaneous bilingualism)といいます。

(上図)連続バイリンガリズム(successive bilingualism)

(下図)同時バイリンガリズム(simultaneous bilingualism)

 

③ 2言語の維持方法の違い

付加的(加算的ともいいます)バイリンガリズム(additive bilingualism)と削減的(減算的ともいう)バイリンガリズム(subtractive bilingualism)

第二言語や文化が加わっても、第一言語の文化にとって代わるのではなく、価値が付加されると考える場合が付加的(加算的)バイリンガリズムで、第二言語を学ぶことで、学習者の第一言語や文化を損なう場合を削減的バイリンガリズムと呼びます。

(上図)付加的バイリンガリズム(additive bilingualism)

(下図)削減的バイリンガリズム(subtractive bilingualism)

 

 

イマージョンプログラムとサブマージョンプログラム

加算的バイリンガリズムを推奨するためのプログラムが、1970年代にカナダで始められたフレンチ・イマージョン・プログラムです。カナダでは英語とフランス語が公用語とされており、このプログラムは幼稚園、小学校、中学校などの選択制プログラムとして行われました。このプログラムは今も続いていて、英語が母語の生徒は、フレンチ・イマージョン・プログラムに、フランス語が母語の生徒は英語のイマージョン・プログラムに参加することができます(例:カルガリー教育委員会サイト)。母語の発達、帰属意識、学力が犠牲にならないようにしながら、母語以外の外国語を習得するためのプログラムになっており、幼いうちから他の言語に慣れることで、語学だけでなく、問題解決能力や、創造性も育てることができるとされています。

イマージョンプログラムと逆に、削減的バイリンガリズムを誘発するのサブマージョンプログラムです。家庭で現地語を使用しない移住者・外国人の児童生徒が現地の学校に投入された場合がこのケースにあたります。外国語で学ぶ環境に入っても、実際に現地語での教科学習が可能になるまでには長い時間がかかります。この状況により母語を使わなくなったり、親子の交流の質が低下したり、学業遅滞、帰属意識混乱が発生する可能性があります。転勤でアメリカに行った家族の子供がアメリカの学校に入学する、日本に移住してきた家族の子供が日本の学校に入学する場合がこのケースにあたります。子供により、現地語を早く習得できる子もいますが、途中でおぼれてしまう子もいます。

イマージョンとサブマージョン、どっちも似ている英語ですが、イマージョン(immersion)は「ちょっと潜る」といった、泳ぐ人に例えると体が上から見えているようなイメージですが、サブマージョン(submersion)は水面より下に体が沈められていて、上からでは泳ぐ人の体が確認できない、スキューバダイビングのようなイメージです。潜水艦もサブマリーン(submarine)ですね。(鍋田)

参考:アルク 第二言語習得論
新版 日本語教育事典


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<めじろ奇譚>私の受けたカルチャーショック(フランス編)

2021年9月23日

今回のテーマ、カルチャーショックは、自分の生まれ育った文化と異なる文化に触れたときに違いを感じてショックを受ける、というものです。

東京都下で生まれ育った私が思い出せるカルチャーショックと言えば、まず、大学生の時にフランスの地方都市に留学した時の事でした。
もう何十年も前のことになってしまいあんまり良く覚えていない、というのが正直なところですが、一番ショックだったのは日曜日にお店がほぼ全部閉まっている事でした。

当時はハンバーガーチェーンなんかもまだ地方都市まで展開しておらずボルドー等の大都市のみでしたから、地方都市の日曜日は死の街の様に静まり返っていました。バス停が集まっている街の中心地のカフェ数軒のうちのいくつかがあいているだけで、街中にあるスーパーもあいておらず、一般のお店も全て閉まっていました。
日曜日は買い物がまったく不可能なので土曜日に買い物をする、という習慣が出来たのでした。

そんな状況はそれから数十年過ぎてフランスの地方都市で仕事をしていた時も変りませんでした。

フランスで最初に住んだ都市はそれでも県庁所在地のまちだったのでそれなりに大きな都市でした。でも仕事で滞在していたまちはそれよりかなり小さな、ピレネー山脈のふもとに近いまちでした。わたしは数人の日本人の人とそのまちに滞在して仕事をしていましたが、日曜日にお店がお休みなのは当たり前。それどころか滞在していたホテルの食堂も日曜日には営業していなかったのです。滞在客がいるのになんでレストランを開けてくれないんだ、という我々の抗議に対してホテルの人は、“おれたちにも休みの日が必要だろ、だってホテルは毎日休みなく開けてるんだから”という返事でした。
なので我々は土曜日にあてがわれてた自転車で郊外のスーパーに買い出しに行って日曜日の食料を確保しておくか、日曜日でも空いている中華料理店に行く、という選択肢しかなかったのでした。

ただ、土曜日は市場の日で町中の広場という広場に大きな移動販売のトレーラーがやってきて、肉、野菜、魚、小物類まで買う事が出来ました。移動販売を専門にしているお店の様で、毎日違う町に行き市場でお店を開いていたのです。日本で想像する移動販売とはスケールが違う大型トラックで、大きなコンテナサイズの荷台がウインウインと開くとそこにはお店が、というもので、移動する店舗と言った方が正確かもしれません。地方のまちにはそれぞれ町の中心に広場があり、月曜日はこのまち、火曜日はここ、と移動していたのです。私たちのいた町はその中では規模が大きな町で人口が1万ぐらいありましたから、土曜日に市場が開かれていたのです。

日曜日は日曜日で町の中心の広場に古物商が店を開き、骨董市が毎週開催されました。
土日の午前中はそういった市場に行くのが日課であり、楽しみでもありました。

それ以外にフランスのいなかで学んだことは、お店でもなんでも中に入るときに必ず挨拶をすることでした。店に入ったら必ず“こんにちは、何なにを探しています”とか“ちょっと見せてください”と言います。レストランでも入ったら店の人に、“一人です、食事できますか”とか言ってから案内されたテーブルに着くのです。黙って勝手に席に座るのはありえない事でした。

私もそういう、お店でもなんでも挨拶してから入る、という習慣を身につけたわけですが、後年通訳になりアフリカの国々に行くようになってもっとおどろかされました。

知らない誰かとすれちがっただけでもみんな結構あいさつするんです。
どこのだれかも知らない人でも、すれ違うときに目があったら必ずこちらもむこうも“こんにちは”というのです。
私はそんな習慣ってとっても良いことだと思います。なんかやさしい心持になります。

だから、というわけではありませんが、私は東京でも食事をしに入った店とかではあいさつするようにしています。出るときにはかならず“ごちそうさま”と言ってでます。
おいしかったらおいしかったといいますし、そうするとお店の人もにっこりしてくれます。
日本、特に東京はひとに冷たい、とか言われますが、だれとでも挨拶するのは良い事だと思います。

しばらく前までわたしは長野の山の中に住んでいました。そこの小学生たちと初めて道で出会ったとき、彼らははじめて会った私に“こんにちは”って言ってくれました。アフリカの人と一緒だな、と私は嬉しくなったものです。

お客様は神様だ、などと偉そうにするより、みんなが笑顔になれる方が良いとおもうのですが。

フランス語通訳 芹澤 紀青


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<めざせ語学マスター>言語は12歳までに習うべき!? 臨界期仮説について

2021年9月21日

やれテストだ、受験だ、と私たちは英語を勉強してきました。大学に入ってからも第2外国語としてフランス語、ドイツ語、中国語などの外国語を多くの人が学んだと思います。特に意識が高い方は「ネイティブのように話したい!」と思ってさらに語学学校に通ったり、留学したりと切磋琢磨されてきたことでしょう。私もそのうちの一人で、20歳でフランスへ留学したときも、バスの中で隣の学生が話していたことを口の中で繰り返したり、ホームステイ先の子供たちとの会話に参加できるように頑張ったりしました。

しかし、そんなネイティブのように話したい、と勉強している人にはショッキングな仮説があります。「言語の獲得には年齢限界がある」と提唱したエリック・レネバーグの「臨界期仮説(Critical Period Hypothesis)」(1967)です。人間は,乳児期から思春期(11~12歳)までの成熟期間を過ぎると,母語話者並みの言語を獲得できなくなるという年齢限界説です。

ああ、もう大学に入ってから勉強したんでは、すでに遅かったんじゃないか、時間を返してほしい、小二の時の父親の転勤先はどうして大阪からパリじゃなくて大阪から栃木だったのか。私はせいぜい覚えても栃木弁くらいじゃないか・・・!と、呪っても時すでに遅し。私はフランス語をネイティブのようには獲得できないのです・・。

しかしそもそも、言語学者たちは第一言語(L1:いわゆる母語)と第二言語(L2)をかなりはっきり区別します。一番大きな違いは、すでに習得している言語があるかないか、ということです。第二言語はその習得時に、すでに第一言語が(頭の中に)存在しています。また、第一言語には教室指導はなく、ある程度の年齢になればだれでも自由に話します。でも第二言語は教室指導が必要になるなど、ネイティブ並みに習得するには、かなりの努力が必要です。

事実、2つの言語を全く同等に扱えるバイリンガルも存在しますし、そのバイリンガルについての研究も多くされています。次回以降のブログでそのバイリンガリズムについて調べようと思いますが、今回はレネバーグの臨界期仮説に注目します。

(写真:アメリカ言語学会より)
レネバーグ(Eric Heinz Lenneberg )(1921年– 1975年)は、言語習得と認知心理学を調べが言語学者および神経学者です。ドイツのデュッセルドルフで生まれたユダヤ人でしたが、ナチスの迫害が高まったため、家族とともにブラジルに、次いでアメリカに移住し、そこで心理学と神経生物学の教授になりました。

レネバーグは「言語の生物学的基礎(Biological Foundations of Language)(1964)」で、言語回復の程度は脳機能の一側化(lateralization)に対応しているとし、一側化後に脳を損傷した場合、母語を完全に回復することはないと考えました。彼の研究は、第二言語習得についてではなく、第一言語(母語)の習得についての臨界期を調べるもので、日本語でいうなら、日本人が日本語をきちんと習得できるのはいつまでか、ということです。

そもそも日本人なら誰でもペラペラに日本語を話しているのに、どうやってそんな研究ができるのか、と思うかもしれません。彼は脳損傷で失語症になった患者の回復する経過を調べることでその理論にたどりつきました。

では失語症とは何でしょうか。
国立研究開発法人国立循環器病研究センターのサイトでは下のように書かれています。

失語症とは
大脳(たいていの人は左脳)には、言葉を受け持っている「言語領域」という部分があります。失語症は、脳梗塞や脳出血など脳卒中や、けがなどによって、この「言語領域」が傷ついたため、言葉がうまく使えなくなる状態をいいます。

余談ですが、私が初めて(ボランティア)通訳をしたのは日本で開催された失語症全国大会でのフランス人ゲストの通訳でした。失語症は英語ではaphasia、フランス語ではaphasieと言います。私はその仕事をするときまで失語症について知りませんでしたが、ご一緒したフランス人男性が脳卒中のあと言葉が出てこなくて苦しいと聞き、病気の大変さにとても驚きました。

レネバーグは言語回復のプロセスを5つのレベルにわけています。
20か月までの乳児:機能的な違いのない同一の半球を持っています。
36か月までの幼児:右半球または左半球のどちらかに偏りがちだが言語を別の半球に切り替えることは簡単。
10歳までの子供:右半球で言語機能を再活性化することができます。
思春期早発症(最長14年):等電位性は急速に低下し、その後は完全に失われます。

彼は、損傷された左半球の代わりに右半球が言語をつかさどることを言語機能の「創造(creation)」ではなく、「再活性化(reactivation)」としました。最初こそ言語の機能は両方の半球にあるが、後で(部分的に)右半球から消えることを示したのです。またこのことから、人間が言語を理解し、表出する能力は最初左右両半球に関係しているが、時間がたつと左半球に偏ってしまう(一側化:lateralization)ということ、言語を学習できる限界はこの一側化のおこる前、10歳前後だろうと考えました。

彼のこの理論はその後多くの研究者によって調べられました。
第一言語の獲得について調べる研究者の中には、その臨界期を過ぎるまで第一言語、いわゆる母語をきちんと習得できなかったケースについても調べた人たちもいました。

中でも、13歳まで部屋に監禁されて育ったアメリカの少女、ジーニーの話は強烈です。彼女の父親は彼女が生後約20ヶ月のとき、鍵のかかった部屋に閉じ込めました。その後も彼女はトイレに縛り付けられたり、腕と脚を固定したままベビーベッドに拘束されたりし、誰とも話せないまま過ごしました。1970年、13歳7か月の彼女はひどい栄養失調のままの状態でロサンゼルス郡に保護されました。発見されたとき彼女は歩くことも話すことも出来ませんでした。彼女の存在は、心理学者、言語学者、科学者の注目を集め、言語学者はジーニーに言語習得スキルを提供するとともに研究対象ともしました。彼女は精神的、心理的に大きな進歩を遂げ、救出から数ヶ月以内に非言語的コミュニケーションスキルや社会的スキルを学びましたが、何年たっても完全な第一言語(母語)を習得するには至りませんでした。

また、「子ども学」(Child Science)研究所CRNのサイトの虐待・隔絶児と言葉の発達;養育不全と心の発達障害には、ジーニー以外にもやはり父親によって1歳半から地下室に監禁され虐待を受け、1967年に7歳で発見保護されたチェコスロバキアの一卵性双生児の事例が記載されています。彼らは救出された後、目覚ましい発達を遂げ、他の人と変わらないまでに成長したそうです。これは激しい虐待状態における発達遅滞があってもその後、良い環境に移されると子どもは急速に再発達できるということ、つまり臨界期以前なら習得は可能というレネバーグの説を裏付けました。

参考   Wikipedia ジーニー (隔離児)
Genie Wiley, the Feral Child(英語サイト)

また、Johnson&Newport(1989)は,第二言語における臨界期について研究しました。彼らは,アメリカ合衆国に住む韓国・朝鮮語もしくは中国語を母語とする46人の被験者を対象に彼等の英語能力を調査しました。彼らの英語の聴解能力hearingは,3~7歳に渡米した人は母語話者並み,11~12歳を過ぎて渡米した人は成績が低くなり,思春期を過ぎて渡米した人びとは複数形と冠詞の習得が困難でした。この結果から、第1言語(母語),第2言語の両方において成熟過程(年齢)が影響をもち,言語学習能力は乳幼児期から思春期にかけてピークとなり,後は減衰していくことがわかりました。つまり、第二言語についても臨界期の存在が裏づけられたのです。

つまり・・。
どうやら私の「RとLが聞き分けられない」というのは、脳の一側化という現象から発生しているようです。臨界期が50歳とか60歳なら希望を持てますが、思春期で終わってるんならもう諦めるしかないかもしれません。

とはいえ、結構通訳・翻訳業界では、別に帰国子女でもなく、ご両親のどちらかが外国語の母語話者というわけでもなくても、大学から外国語を勉強して通訳になっている人も多く活躍しています。彼らはどういう努力をして脳の一側化を飛び越えているんでしょうか。まだまだこの分野は研究のしがいがありそうです。

現在の小学校での英語教育はこの臨界期仮説も参考にしているようで、文部科学省のサイトにもレネバーグもニューポートも名前があげられています。
資料3-2 言語獲得/学習の臨界期に関する補足メモ
英語教育は中学生からでは手遅れだ、と平成になって指導方法が変わったんでしょうか。

さて、上に記載したジーニーは1957年生まれなので現在60代。「ジーニー」はプライバシー保護のための仮名だそうです。Genieは(イスラム神話の)精霊、妖精、 魔神、 魔人で、アラジンのジニーと同じです。当時の論争や研究に巻き込まれてしまったようにも思える彼女、今は穏やかな生活を送っていてほしいと心から願います。

参考資料

Critical Period Hypothesis on Language Acquisition 言語習得 の臨界期 について 
Lenneberg’s Critical Period Hypothesis
アメリカ言語学会 A 50th anniversary tribute to Eric H. Lenneberg’s Biological Foundations of Language
コトバンク 言語獲得の臨界期仮説
アルク 第二言語習得論


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「は」と「が」の違い
ネイティブチェックは「ネッチェッ」になるか。拍(モーラ)と音節
ハヒフヘホの話とキリシタン
日本語は膠着している
ネイティブ社員にアンケート!
RとLが聞き分けられない!?
シニフィエとシニフィアン
文を分ける 文節&語&形態素
やさしい日本語
来日外国人の激減について
学校文法と日本語教育文法
日本語教育能力検定試験に落ちました

<ある通訳の日誌>詩の世界 詩のこころ 4

2021年9月17日

詩の世界 詩のこころ
橋爪 雅彦
1
フィッツジェラルド
森(もり) 亮(りょう)訳
オーマー・カイヤム「ルバイヤート」四行詩

第一回
第二回
第三回
―第四回ー

4.「一国の王様よりも幸せ」という世界
ルバイヤート第十一歌(森 亮訳)
ここにしての下かげに歌の巻
酒の一壺、かてし足り、かたへにいまし
よきうたを歌ひてあらばものににず、
あら野もすでに楽土かな。

木陰にて詩集を開き、美味しいワインとわずかなパンと、そして貴女あなた
私の脇で、あなたが歌えば、何物にも代えがたく、
ああ、あら野も天国だ。

―Edward Fitzgerald  ―Ⅺ―
(フィッツジェラルド第十一歌)
Here with a Loaf of Bread beneath the Bough,
A Flask of Wine, a Book of Verse ­ and Thou
Beside me singing in the Wilderness ­
And Wilderness is Paradise enow.

これもまた美しい韻律です。Bough、Thou、enowと[au]で脚韻します。名詞を大文字で書くのもやや古風な形です。enowはenoughの古形にあたります。Thouは二人称主格にあたる古語です。

森 亮の文語訳も見事です。中国の漢文訓読調から古事記、日本書紀、そして万葉集、古今和歌集、新古今和歌集などの膨大な古典的教養を自己薬籠中のものにしている彼のような博学な翻訳者に比べると、私などは恥ずかしい限りですが、この詩には私なりの思い入れがあり、あえて私の無学を顧みず訳してみました。もちろん文語調では不可能で、現代語で訳しました。

この詩は、現実に起こり得ている状態を歌っているので直接法現在です。さて、そうだとすると、もし私なら、この詩をどういう風に翻訳するでしょうか。

「砂漠なる地の大枝おおえだもと ワイン傾け
一冊の詩集とわずかなるパン ­ そして貴女あなた
私のかたわらであなたが歌えば、ああこの砂漠さえ
完璧な天国であると 私の心は満ちたりる!」(拙訳)

■ ワインのこと
19世紀のイギリスでは、ワインは普通に飲まれるアルコール飲料でした。フランスのボルドーもかつてイギリス支配の地域でしたから、ボルドーからイギリスへは盛んにワインが輸出されていました。
ところが、日本では、カイヤムの詩を翻訳し始めた明治の時代、wineは「お酒」あるいは「葡萄の酒」「葡萄酒」いう風に訳す以外、一般の人には理解できないものでした。

私が子供時代を送った昭和20年代でさえ、日本ではワインという飲み物は珍しいものでした。
一般の家庭でもレストランでもワインを手元に置く習慣はありませんでした。また大人たちが催す宴会でも、ワインはありませんでした。わずかに「赤玉ポートワイン」という名称のワインらしきお酒は市販されていましが、現在市販されているワインとは相当かけ離れたものでした。

思えば、隔世の感があります。
明治5年に群馬県の富岡に日本で最初の官営富岡製糸場ができ、フランス人たちがやってきて日本の女性たちに生糸の器械生産を教えることになりました。が、肝心の日本の若い女性たちがなかなか応募してきません。その理由は、フランス人たちが、夜な夜な赤い血を飲んでいるという噂でした。「とてもじゃないけど、自分の娘をそのような吸血鬼の所へ働きに出すわけには行かない。娘の血が吸われてしまう」という親の反対もあって、富岡製糸場の工女募集はかなり難儀なものでした。

Christian Polak著「絹と光 日仏交流の黄金期」HACHETTE―FUJINGAHO社刊より転載しました。

器械製糸での生糸生産が、外貨獲得のための近道であるという明治政府は、どうあっても器械製糸を稼働させる必要に迫られており、日本の近代化のためにという大義名分を喧伝し、最初は、武士階級や地主階級の若い女性たちを富岡製糸場へ動員するという形をとりました。
当時、各県の県庁からは県下の村長宛てに「13歳より25歳までの女子を富岡製糸場へ出すべし」というお達しが回り、若い女子を持つ親たちは随分と悩んだ様子が、富岡製糸場の工女になった和多英子の日記に書いてあります。
「やはり血をとられるのあぶらをしぼられるのと大評判になりまして、中には、『区長の所に丁度年頃の娘があるに出さぬのが何より証拠だ』と申すようになりました。」(和田英子 富岡日記より)。
そんな風潮のなかで、区長(村長)であった英子の家では、父親も一大決心して英子を富岡製糸場へ出すことになった次第で、当時の日本の田舎では、異人たちが若い娘の血を取って、ああして毎晩飲んでいるのだと思われていました。それがワインでした。

ギヤマン(ガラス)の器で赤い血を飲むフランス人。近郊近在の人たちには恐怖の対象でした。が、和田英子の日記にもありますように、最初は恐怖の対象でしたが、フランス人たちと働いているうちに、フランス人たちに進められてワインを飲んでみると、結構美味しいので、ワインに対しての偏見は次第に無くなっていきました。

明治、大正、そして昭和の半ばまで、ワインは「酒」とか「葡萄酒」とかに訳されていました。日本人の日常生活の中では、ワインはほとんどその存在を認められていませんでした。

さて話をこの詩に戻しますと、
広大な砂漠の中にあるぽつんとした一本の木、その緑なす大枝の下で、若い美女を相手にワインを傾け、詩集を開き、美女が歌い、わずかなるパンを食するとは。

私には、サハラ砂漠での生活が多少ともありますが、ある日、冷蔵コンテナで運ばれてきた生野菜(レタス、タマネギ、ニンジン等)をドレッシングをかけて生のまま食べたことがあります。コンテナを改良したハウスの中から目の前に広がる砂漠を見つつ…
砂漠ではいうまでもなく生の野菜は一切育ちません。
その野菜を眼前の砂漠の中で食するとは、人間って、本当に心理的な生き物だな、という感を強くしました。普段、都会の生活の中で食べている生野菜よりも数十倍もおいしいという事実。同じ生野菜でありながら、格段に違うのです。

ましてこの詩のように、砂漠の緑なす木の下で、砂漠の地では生産できないワインを傾け、また砂漠の地では育たない小麦、その小麦からなるパンを食し、若いピチピチの美女を相手なら、これはもう一国を支配する王様よりも幸せな気分でしょう。

はからずも一国の王様よりもと云いましたが、実は、この詩の別のヴァージョン Justin Huntly MacCarthyが訳したマッカシー版では、次のようになっております。

MacCarthy (449) マッカシー版(第449章)
Give me a flagon of red wine, a book of Verses, a loaf of bread, and a little idleness. If with such store, I might sit by the dear side in some lonely place, I should deem myself happier than a king in his kingdom.
(私にひと瓶のレッドワインと一冊の詩集とわずかな自由を与えてください。これだけあれば、そしてどこか人気のない場所で、愛する者のそばに座ることができたなら、私はかの王国における王よりも自分を幸せだとみなすでしょう。)

―続くー

<めじろ奇譚>二つの意味を一つのことばに詰め込んだportmanteau語

2021年9月16日

英語で「portmanteau」といえば、もともとは、両開き式の旅行かばんを指していた。今はローリングスーツケースやリュックなどの普及により、このタイプのかばんはほとんど見かけませんが、「portmanteau」という言葉は2つ以上の単語とその意味を融合して作られた言葉を指す用語として今でも使われています。(ちなみに、「portmanteau」という言葉はフランス語からの借用語ですが、言語学用語のportmanteau語に該当するフランス語は「mot-valise」(かばん語)となります)。

英語ではこのような言葉を「portmanteau」と呼ぶようになったのは、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』で、ハンプティ・ダンプティというキャラクターがlithe(柔軟な)とslimy(ヌルヌルした)の組み合わせから作り上げた「slithy」という言葉を主人公のアリスに次のように説明したことから始まります。

「You see it’s like a portmanteau – there are two meanings packed up into one word」
(「おわかりのように、かばんみたくなっておるわけ――二つの意味を一つのことばにつめこんであるのだ」)。

Portmanteau語の例:

Brunch (ブランチ) = breakfast(朝食)/ lunch(昼食)
Cosplay (コスプレ) = costume(コスチューム)/ play(プレイ)
Cyborg = cybernetic (人工頭脳学の) / organism (生命体)
Malware (マルウェア) = malicious (悪意のある) / software(ソフトウェア)
Paralympic Games (パラリンピック) = paraplegic (対麻痺) / Olympic(オリンピック) (パラリンピックの起源が脊髄損傷者のリハビリの一環として行われた大会です。)
Smog (スモッグ) = smoke(煙)/ fog(霧)
Webinar (ウェビナー) = web(ウェブ)/ seminar(セミナー)

この他にも、複合語(compound word)や音節の略語(syllabic abbreviation)など、2つ以上の単語を組み合わせた言葉があります。Portmanteau語と、「seatbelt」などの複合語との違いは、複合語はその構成要素の元の単語(この場合は「seat」と「belt」)に分解できますが、portmanteau語の場合は、構成するすべての単語が完全には含まれていないため、このように分解できません。例えば、「brunch」というportmanteau語をどのように分解しても、意味のある単語が一つもできません。また、「cosplay」の場合は、「play」はそれだけで一つの単語にはなりますが、「cos」という単語は存在しません。
(構成要素となる単語のいずれかが完全な状態で含まれている場合は真のportmanteau語ではないという定義もありますが、それでも「cosplay」はportmanteau語として分類されることが多くて、この定義について意見が分かれているようです。)

一方、音節の略語とは、例えば「Interpol」(International + police)のような複数の単語の頭の音節から形成された言葉です。

なお、「portmanteau」という言葉自体は、フランス語の「port」(運ぶ)と「manteau」(コート)という2つの言葉を組み合わせたものですが、portmanteau語ではなく、複合語です。

Portmanteau – two meanings packed up into one word

In English the word ‘portmanteau’ originally referred to a type of suitcase that opens into two halves with a hinge in the middle. While this type of suitcase has mostly fallen out of fashion with the popularization of rolling suitcases and modern backpacks, the word portmanteau lives on in the English language as a term for words created from a fusion of two or more existing words and their meanings. (Incidentally, although the word ‘portmanteau’ is a loanword from French, the French equivalent for this linguistic term is ‘mot-valise’, literally meaning ‘suitcase-word’.)

The use of the word portmanteau to refer to these kinds of words started with Lewis Carrol’s Through the Looking Glass, where the character Humpty Dumpty explains the made-up word ‘slithy’ (a combination of ‘lithe’ and ‘slimy’) as “like a portmanteau – there are two meanings packed up into one word”.

Some examples of portmanteau words are:

Brunch = breakfast/lunch
Cosplay = costume/play
Cyborg = cybernetic / organism
Malware = malicious/software
Paralympic Games = paraplegic + Olympic (due to its origins as games for people with spinal injuries)
Smog = smoke/fog
Webinar = web/seminar

There are other types of words that are a combination of two or more words, such as compound words and syllabic abbreviations. What differentiates a portmanteau from a compound word such as ‘seatbelt’ is that while a compound word can be broken back up into separate usable words (‘seat’ and ‘belt’ in this case), this is not possible with a portmanteau since it does not contain all its constituent words in full. For example, breaking up the word ‘brunch’ into ‘br’ and ‘unch’ (or in any other way) does not result in any proper words at all, and although the word ‘play’ in ‘cosplay’ is a word on its own, ‘cos’ is not. (According to some definitions, a true portmanteau word cannot contain any of the full words it is made up of, but ‘cosplay’ is nonetheless frequently mentioned among portmanteau words so it would appear not everyone agrees with this definition).

Syllabic abbreviations on the other hand, are usually defined as abbreviations formed from the initial syllables of multiple words, such as in ‘Interpol’ (International + police).

The word ‘portmanteau’ itself is a combination of the two words ‘port’ (carry) and ‘manteau’ (coat), but since its constituent words are both included in full is not a portmanteau word, but rather a compound word.

 

<めざせ語学マスター>英語は聞いていたらペラペラになる・・・か?(クラッシェンのモニター・モデル)

2021年9月14日

ネイティブのように英語や他の言語を話したり書いたりできるようになりたい、もっと自然に話せるようになりたい・・、と思ったことはありませんか?またそのために学校に通ったり、文法を覚えたり、単語を覚えたりしたのではないかと思います。たくさん勉強したら話せるようになるはず・・・と信じて。

昭和の英語教育。それは「This is a pen.」と先生が言えばそれを繰り返す、という方法がとられていました。何度もカセットなどでネイティブの発音を聞いて、繰り返して言い、なるべくネイティブの発音に近づけていく・・・。そのような繰り返しの学習はオーディオ・リンガル法と呼ばれており、文型練習(パターンプラクティス)をたくさん行うものでした。

しかしそれも今は昔。

現在は数々の外国語習得方法がネットでも本屋さんでも取り上げられていて、どれを選んだらいいかわからないほど。

今日はそんな中から、1970-80年代にアメリカの言語学者クラッシェンが提唱したモニター・モデルを紹介します。彼の仮説はその後アメリカのスペイン語教師テレル(T.Terrell)によって発展し、以降「ナチュラル・アプローチ(Narurel approach)」と呼ばれるようになりました。この教授法は日本語の現在の英語教育法にも大きな影響を与えています。

彼はもし第二言語を習得するなら、理解可能なインプットに自分をさらすべきだ、と言っていますが、それはどういう仮説に基づいているのでしょうか。(厳密にいうと「第二言語」とはその言語がその社会でコミュニケーション手段として使われている言語で、アメリカに住む日本人が学ぶ英語や、日本で生活する外国人が学ぶ日本語にあたり、日本で勉強する英語や外国で勉強されている日本語は「外国語」と呼ばれますが、特に下記に記す「第二言語習得論」ではあまり区別をしていません。)

アメリカの言語学者、スティーヴン・クラッシェン(Stephen Krashen, 1941年 2021年現在80歳)は、今も南カリフォルニア大学の名誉教授です 。これまで第二言語習得理論や、バイリンガル教育、神経言語学、読書教育論などの多くの仮説を提唱してきました。

クラッシェン氏は、1970~1980年代にかけて、まとめて「Monitor Model(モニターモデル)」と呼ばれる第二言語習得に関する5つの有名な仮説を打ち出しました。

(1) 習得―学習仮説(The Acquisition – Learning Hypothesis)
(2) 自然順序性仮説(The Natural Order Hypothesis)
(3) モニター仮説(The Monitor Hypothesis)
(4) 入力仮説(The Input Hypothesis)
(5) 情意フィルター仮説(The Affective Filter Hypothesis)

先日のブログに1950年代、チョムスキーが普遍文法理論 で革命を起こしたと書きましたが、そのチョムスキーは「言語能力(linguistic competence)」そのものに焦点をあてており、「言語運用(linguistic performance)」をあまり対象としていませんでした。
クラッシェンはその「言語運用」に焦点をあて、どうやったら「言語能力」を「言語運用」に生かすことができるかを、言語運用から教室指導まで幅広く研究し、ナチュラル・アプローチという新しい教授法にまで発展させました。彼のモニターモデルは、上記の5つの仮説がセットで基盤になっています。以下にそれぞれの仮説を見ていきましょう。

(1) 習得―学習仮説(The Acquisition – Learning Hypothesis)

クラッシェンは習得(Acquisition)は無意識な言語習得過程であり、赤ちゃんが言葉を覚えていく第一言語習得の過程と基本的に同じであるとしています。逆に彼によると、学習(Learning)は意識的な過程であり、言語についての知識を身に着けるプロセスであるとしています。

習得と学習って違うの?と思うかもしれません(少なくとも私は「どっちも同じじゃないの?」と思いました。)。日本語同士が似ているのでとまどうかもしれませんが、英語のまま「習得」を”Acquisition”と「学習」を”Learning”として、あるいは「習得」は「獲得」として読んだほうが分かりやすいかもしれません。

クラッシェンの“Principles and Practice in Second Language Acquisition” Stephen D Krashen University of Southern Californiaでも彼は習得と学習をそれぞれを以下のように全く別物として説明しています。

習得(Acquisition)は潜在意識のプロセスです。言語習得者は通常、言語を習得している事に気づいておらず、コミュニケーションにその言語を使用している、という事にしか気づいていません。言語習得の成果、つまり習得した能力も潜在意識です。私たちは通常、習得した言語の規則を意識的に認識していません。その代わり、私たちは正しさに対する「感覚」を持ちます。どんな規則に違反したかを意識的に知らなくても、文法的に正しい文は「正しく」聞こえ、「正しく」感じますが、正しくない文には間違っていると感じます。言語取得方法には、暗示的学習(implicit learning)、非公式学習(informal learning)、やナチュラル・ラーニングなどがあります。単純に表せば、言語習得とは言語を「pick-up(勉強するのではなく自然と覚える言語)する」ことです。

第二言語習得方法の二つ目は、学習(Learning)によるものです。言語学習とは、ここでは第二言語についての意識的な知識、言語規則の知識や認識などについて学ぶことです。単純に表せば、言語学習とはある言語について「知る」ことであり、「文法」や「規則」です。ある言語の形式的な知識(formal knowledge)、明示的学習(explicit learning)と同じです。

つまり習得(Acquisition)は私たち日本人が日本語を覚えていくようなプロセスで、学習(Learning)は学校で文法などを勉強するようなプロセスです。クラッシェンは第二言語においても習得(Acquisition)は可能としていますが、習得と学習は互いに独立した過程であり、学習が習得に代わることはないとも述べています。(ノン・インターフェイスの立場)

つまり、言語の習得は数学や社会などとは違って、勉強すればできるものではなく、無意識レベルのプロセスであり、その習得には以下(4)に述べるような「理解可能なインプット」を施していくことが重要だと説きます。

勉強したからって・・


ペラペラしゃべれるわけではない。

(2) 自然順序性仮説(The Natural Order Hypothesis)
文法構造は大人でも子供でも、どの言語であっても、たとえ教室で教えられる順番が違っていても、習得には一定の順序がある、という仮説です。

アメリカの心理学者、ブラウン(Roger Brown)は、1970年代初め、別々の地域に住む3人の子供が第一言語として英語を習得する様子を分析し、子供の言語習得方法には、特定の文法形態素または機能語から始まる、一定の順序があることを発見しました。たとえば「進行形語尾-ing ( “He is playing baseball”)」と「複数形/s/(”two dogs”)」は最初に習得され、「3人称単数の/s/(as in “He lives in New York”)」や「所有格の/s/(“John’s hat”)」は通常その後6か月から1年後あたりで習得される、というものです。

ブラウンの結果が発表された直後、デュレイとバート(Dulay and Burt(1974、1975))は3つの地域でスペイン語母語話者の子供たちがどうやって英語を習得していくかを研究し、第二言語として英語を習得する子供たちにも、文法形態素の「自然な秩序」があることを発見しました。さらに中国語を母語とする子供の英語習得についても調べ、英語を第二言語として習得する子供たちの習得順序には、英語を第一言語として習得する子たちと比べると順序は異なるものの、共通する順序があるという結論に至りました。この結果は、その後多くの研究者によって確認されました(Kessler and Idar、1977; Fabris、1978; Makino、1980)。

さらにクラッシェンたちは、成人の被験者にも子供の第二言語習得で見られる順序と非常に似た順序を発見しました(Bailey、Madden、およびKrashen(1974))。 クラッシェン(1977)の下の表は、第二言語習得における平均的な順序を示します。

(英語の例はこちらのサイトから:Grammatical Morphemes in Order of Acquisition*Based on Brown (1973))

このような形態素順序の研究は広がりを見せました。しかし、日本人の英語習得の事例研究では、子供でも中学生でも上記のような順序は示されませんでした。もっとも大きな違いは「複数」と「冠詞」の習得が遅いことでした。これらの要素が日本語にはないからだと研究者たちは考え、第二言語習得には、母語の影響があると考えられました。

(3) モニター仮説(The Monitor Hypothesis)
先に述べたように、クラッシェンの理論では、言語の実際的な運用は「習得(Acquisition)」によるのであって、「学習(Learning)」により行うものではありません。しかし、「学習」によって学んだ文法規則などの知識は、発話や文を訂正したり変更したりするモニターとしての働きを持っていると考えます。


「習得」されたシステムによる発話を、「学習」は形式を発話前あるいは後で変更するために機能します(「主語が三人称単数だから動詞にはsをつけなくちゃ」など)。しかし、通常の流暢な発話は習得されたシステムによってしか発生しません。

しかも、モニター機能は下の条件がそろわなければ働きません。
① 時間があるとき(文法などにとらわれていると通常の会話ができなくなるし、相手の発話の意味に注意を払えません)
② 言語形式に焦点を合わせるとき(言語の意味に焦点をあてる場合はスピードも速い)
③ 言語の規則を知っているとき(とはいえ学校で教わる文法は全部の文法の一部のみ。とても優秀な学生にだって難しい)


あわてているとモニター機能も働かない。

(4) 入力仮説(The Input Hypothesis)
上記のとおり、クラッシェンの仮説では、習得(Acquisition)が中心的で、学習(Learning)は周辺的でしかありません。そのため、彼にとって教育の目標は「習得」を強化することでした。では言語はどうやって習得できるのか。彼は、自然秩序仮説が正しいなら、ある段階から次の段階にどうやって進めるのかが重要と考えました。現在の言語の習得度合が「ステージ4」なら、どうやって「ステージ5」に進むことができるのか? 「ステージi」から「ステージi + 1」に移動するために必要な条件とはなんだろう?と考えたのです。

クラッシェンは習得者が「i + 1」を含む入力(input)を「理解する」ことが必要だと考えました。つまり、「理解する」とは、習得者がメッセージの「形式」ではなく「意味」に焦点を合わせていることで、私たちの現在の能力を「少し超えた(i+1)」言語を理解したときにのみ、私たちは「習得」できるとしました。

でも、現在の能力を「少し超えて」いるのなら、そもそも理解できないのでは?しかしクラッシェンは「i+1」を理解させるためには、言語能力以上のものを使用すればいいと考えました。それは絵でもいいし、知識でもいいし、その他の教材でもいい、言語以外の情報を使えば可能だというのです。また、理解可能なだけでなく、興味を引く内容のインプットであればさらに習得は促進されると考えました

クラッシェン先生の動画があります。
中で彼はレッスン1としてドイツ語をただ読み上げ、レッスン2として身振り手振りや絵を加えて同じドイツ語を示していきます。(動画3分半くらいのところ)そうして同じ表現でも工夫をこらせば相手に伝わることを証明してみせています。

同じ動画の8分ごろにはお隣に住んでいた日本人の「イトミ」(4歳)の話も出てきます。彼女はクラッシェンの問いかけに5ヵ月間一言も返しませんでした。しかし、5ヵ月を過ぎたころから急にたくさん英語を話しだします。しかもその英語の発達具合も他の子供たちと違いがなく、1年後には近所の子供たちと問題なくコミュニケーションをとれるまでになったとか。

(*YOUTUBEは右下のsettingで字幕がつきます。言語も英語、その他を選べますので是非試していてください。)

(5) 情意フィルター仮説(The Affective Filter Hypothesis)

上の動画の後半でも話していますが、クラッシェンは感情要因が第二言語習得の成功に関連すると言っています(Krashen、1981)。その感情要因とは以下の3つです。
(1)動機。高いモチベーションを持つ人は、第二言語習得で良い成績を収めます。
(2)自信。自信があり、自己イメージが良い人は、第二言語習得がうまくいきます。
(3)不安。不安がなければ、第二言語習得がうまくいきます。

感情の影響(情意フィルター)は、言語獲得装置(LAD)(チョムスキーで出てきましたね)の手前にあり、インプットが言語獲得装置に入る前に妨害または促進するように作用します。

不安はゼロに近ければ近いほどよく、そのため発話などに間違いがあってもむやみに訂正をしないいほうがいいとクラッシェンは考えました。

インプット仮説と情意フィルター仮説によれば、良い語学教師は、理解可能な(かつ面白い)インプットを提供しつつ、学習者の不安も和らげられる人です。また、スピーキングやライティングよりリスニングとリーディングのほうが重要だとされています。

よく本を読む子は良い文章を書き、ボキャブラリーも豊富になると言いますし、保育園でたくさんのお話を聞いた子は10歳時の言語能力が高いそうです。インプット仮説はこれと同じように、言語に触れることと言語能力に相関性があると考えます。つまり、学業として学ぶことより、その言語にさらされることが重要となります。

現在日本の小学校でも英語は必須になりました。私の子供(小学生)も文法こそ学ばなくても「Head and shoulders, knees and toes, knees and toes Head and shoulders♪」と歌いながら踊っていたり、「Hello, how are you?」など学校で教えてもらった英語を披露したりしています。歌ったり踊りながら英語を習得していくこの方法は、アメリカの心理学者アッシャー(Asher, J. James)により提唱された「全身反応教授法Total Physical Response(TPR)」によるものですが、これもクラッシェンの提唱したナチュラル・アプローチの流れを汲んでいます。

最後に。
多くの研究者たちに受け入れられたクラッシェンの理論ですが、やはり批判もありました。
①「習得」と「学習」の区別が非科学的。
②「学習」にはモニター機能があるというが、「習得」された知識だってモニターになれる。
③「i+1」があいまい。
また、カナダ人の女性応用言語学者、スウェイン(M.Swein)はインプットだけでなく、アウトプットも重要だと主張しました。

でもこうして今日本で英語教育が盛んで、小学校にもたくさんのネイティブ教師、いわゆるALT(外国語指導助手)が配置されている状況の背景には、このクラッシェンのモニター・モデルの存在があるような気がします。インプットだけで英語がペラペラに話せるなら、SNSやYOUTUBEなどでいつでも英語を聞ける現在は以前より簡単になってきそうなものですが、実際はどうなんでしょうね。(鍋田)

参考:

English Hub(イングリッシュハブ)
クラッシェンが唱えた第二言語習得5つの仮説「モニターモデル」とは?

英語のサイト
What Is Comprehensible Input and Why Does It Matter for Language Learning?

参考資料:第二言語習得論 迫田久美子 アルク


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<めじろ奇譚>フランシールの人材派遣

2021年9月9日

別ページでご案内の通り、フランシールには「労働者派遣事業」「有料職業紹介」の許可があります。

もともと中長期で通訳派遣を依頼したいお客様へのご要望に応えるために始めたものでした。

昨年からコロナ禍の「派遣切り」が問題となっておりますが、大量の人材を扱ってはいないこともあり幸いそういった事例は発生しませんでした(関係者の皆様、ありがとうございます。)

ただ会議通訳をメインにしていた通訳がインハウス通訳に切り替えを希望する場合も見受けられるようになりました。もしそういった人材を探していらっしゃるようでしたら「ちょっと聞くだけ?」としてでも結構ですので是非ご相談ください。

また紹介予定派遣や職業紹介で有期契約から無期契約への切り替えは企業と労働者のマッチングに適しています。ぜひ活用いただきたい制度です。

参照「東京都労働局ホームページ」

https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/hourei_seido_tetsuzuki/yuryou_muryou_shokugyou/whatshokai.html

海外渡航が難しくなっている現在、現地人材もネットワークを利用してご紹介しております(ベトナム、メキシコなど…)。海外への人材派遣も行っております。

↑5年ほど前、朝8時頃のベトナム、ホーチミンのスタバ。通勤者が増えてくる時間ですね。

(業務部 人材派遣課)

<めざせ語学マスター>異文化遭遇!カルチャーショック

2021年9月7日

海外にいったときに、「え?ナニコレ?」と思ったことや、「なんかストレス感じるな・・・日本だったらありえないんだけれど。」と思ったことはありませんか?
しかし「郷に入れば郷に従え」や、「住めば都」という言葉もあります。
今回はそんな「異文化遭遇!カルチャーショック・・・と受容まで」の話です。

とりあえず社内に「あなたが経験したカルチャーショック」というアンケートをとってみました。

スペイン語のYOUTUBEに出てくるHayashiさん

なるほど、彼女もいろんな国でいろんな発見をしたんですね!(気のせいか食に関するものが多いような・・・)。関西出身の彼女はアメリカでお好み焼きを作ろうとして分厚い肉しかなくて失敗したらしいです。よほど悔しかったんだと思います。

また、スペインでは、彼女の先生は東アジア出身の生徒に挨拶のキスをする前に「キスしても大丈夫?」と聞くようになったとか。確かに挨拶のキスは最初は照れちゃいますよね。あるいは思い切ってやろうとするあまりベチョッとしたキスをしてしまいそうになります。でも、意外と他の人たちは頬っぺたをくっつけているだけだったりします。

Hayashi さんの「スペイン語の電話の仕方」はフランシールYOUTUBEチャンネルでご覧ください。

さてもう一人。ホンジュラスに2年、コスタリカに2年いたというKawamoto女史も経験。

バスで他の人が自分の上に乗ってくるってすごいですね。でも彼女も他の人の膝に乗っていたとは。・・慣れというのは恐ろしいものですね。

さて、そんな弊社HayashiさんもKawamotoさんも経験したというカルチャーショック。これを説明しようと、社会学者や心理学者が様々なモデルを発表しています。

① U曲線(U-curve)とW曲線(W-curve)

ノルウェーの社会学者リスガード(Lysgaard)は「適応とはU型曲線を辿る時間的経過プロセスである」と考え、新しい環境下で起こる人間の心理状態の変化をU曲線仮説で表しました(1955)。

彼はカルチャーショックを乗り越えて異文化に適応していく過程を、ハネムーン期不適応期(カルチャーショック)回復期適応期に分類しました。

ハネムーン期(Honeymoon stage)は、その言葉の通り、刺激と興奮で満足感の高い時期です。「変だな」と思ったり「素敵!」と思うことの連続で特に嫌な面が目に入らない時期です。

不適応期(Crisis/ Culture shock stage)には、ハネムーン期には気づかなかった疲れやストレスが表面化。見えなかった価値観や習慣の違いを受け入れられなくなり、フラストレーションがたまります。不眠になる人もいます。これはだいたい渡航後3か月-18か月くらいで起こるようです。12か月前後くらいが精神面で危機に陥りやすいといわれています。

回復期(Recovery stage)には、異文化のポジティブな面だけでなくネガティブな面も受け入れようとします。自信を取り戻し、落ち着く場所を見つけた感じがします。

適応期(Adjustment stage)には、自分の文化と異文化に寛容になり、環境に適応していきます。

では、適応期を経て帰国したらどうなるでしょうか。
中米に長期滞在したKawamotoさんの例です。
ディープな体験をした彼女は日本帰国後にも下のようなショックを受けます。

 

慣れ親しんだ中米の生活から日本に帰ると、日本ではふつうだった色んな音などに逆に気づくことになりました。また、人が冷たい、と感じたようです。バスで上に人が乗ってくるくらいの国から帰国したら接触を(コロナじゃなくても)避けたがる日本人の行動はとても冷たいと感じるでしょうね・・・。

上記のリスガードのU曲線をガラホーンは発展させ、異文化から戻った時間まで含めたW曲線を提唱しました(Gullahorn and Gullahorn (1963))。

しばらく異文化に身を置いた後、自国に戻ったときに、離れていた自国の文化に対しても外国のような感覚を覚えることを表しています(リエントリーショック ”Re-entry shock”)。

② ベネットの異文化感受性発達モデル

しかしその後、数々の学者が、U曲線、W曲線はモデルとしてはシンプルではあるが実際にはあてはまらないケースが多いとして、異文化受容について様々な理論を試みます。

アメリカの社会学者、M.ベネットは、カルチャー・ショックをネガテイプなものとはとらえず、人生における転機、たとえば転勤や転居、結婚といった場合に経験する「ショック]と同じものと捉えました。(異文化感受性発達モデル(Developmental Model of Intercultural Sensitivity (DMIS) 1986年)。

「否定(Denial)」・・「アメリカってあんまり日本と変わりないよね」(差異を否定する段階)
「防衛(Defense)」・・「日本のほうが礼儀正しいよね」あるいは反対に「アメリカのほうが個人主義で素晴らしい」(差異が見えてくる段階)
「最小化(Minimization)」・・「お箸とスプーン、食べ方は違うけれど根本は同じだよね!」(でも居心地は悪い段階)
「受容(Acceptance)」・・「価値観の違いってあるよね。みんなそれなりのシステムの中で生きてるよ。」(それぞれの文化で価値観が違うということを認められる段階)
「適応(Adaptation)」・・「挨拶のキスって大事だよね。でも日本人同士のときはお辞儀にしよう。」(バイカルチュラルな段階)
「統合(Integration)・・「今は誰がプレーヤーか、シチュエーションを見て対応しよう」(状況に依存して対応を変えられる段階)

彼のモデルは特に海外とか外国に限った話ではなく、組織と組織、家族と家族、などでも説明ができるそうです。最近はSNSなどでも似た意見の人で集団をつくることも多いので、違う意見を持つ集団との交流などにはあてはめて考えられるのかもしれません。
(参考:文化庁サイト「異文化コミュニケーションの日本語教育への活用」)

③ ベリーの文化変容モデル.

そして今回紹介する最後はベリーの「統合(Integration)」「同化(Assimilation)」「分離(Separation)」「周辺化(Marginalization)」という文化変容モデル(acculturation model)です(Berry, 1992)。彼は異文化適応のプロセスに加えて、異文化と接したときに、どの程度、異文化を取り入れて適応するのか、その受容態度にもタイプがあることに注目しました。そこで「自文化の特徴と文化的アイデンティティの維持を重視するか」「異文化の集団との関係の維持を重視するか」という二つの軸を設け、文化変容を4つのタイプに分けました。

「統合(Integration)」は、自分の文化を保持しながら新しい文化を取り入れていく態度、「同化(Assimilation)」は、自分の文化の保持をせずに新しい文化に適応していく態度、「分離(Separation)」は自分の文化を維持し新しい文化との関わりを避ける態度、「周辺化(Marginalization)」は自分の文化の保持もせず新しい文化への適応にも無関心である態度であるとされています。
もっとも安定して異文化適応がなされるのは「統合」的態度です。

ベリーの表を見ると、私がフランス留学中に会った様々な日本人留学生を思い出しました。日本人ともフランス人とも均等につきあいつつ自分のペースを守っている人(統合?)、「私もう日本人じゃないから・・」と言ってフランス人化した人(同化?)、日本人としか一緒にいなかった人(分離?結構多い)、どちらとも距離をとっていた人(周辺化?)たちがいました。「この人変わってるな」と思うこともありましたが(多分私もそう思われていたでしょう)、今なら彼らもそれぞれの方法で異文化と向き合っていたのかなと思えます。

ベリーの文化変容モデルはこちらにも説明があります。もっと興味ある方はぜひ。

“L D Worthy, Trisha Lavigne, and Fernando Romero “Culture and Psychology”
クロスカルチャーコンサルティング・アートセラピー・心理カウンセリング

4.終わりに

アンケートの回答から。スウェーデン出身のSさんはこう言います。「カルチャーショック程ではないかもしれませんが、私が今でも不思議に思っているのは、日本では生活音などのマナーが大事されているのに、宣伝カーや選挙カーなどが街中で拡声機を使って、大音量を発していいことです。」・・・なるほど。

もう一人、ロシア出身のM君の日本に来た時のカルチャーショックを最後にお伝えして今日は終わりにします!

そんな彼は今では日本人以上にきれいな日本語でメールを書いたりブログも書いてくれたりしています。彼のブログ「<めじろ奇譚>ロシアのジョークは日本で通じるか」も是非読んでください。

(鍋田)


<めざせ語学マスター>日本語教育に関するブログはこちら

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