<めじろ奇譚>ロシアのジョークは日本で通じるか

2021年9月2日

AI自動運転、音声合成、翻訳など躍進している中、我々人間にしかできないことは果たしてあるのでしょうか。作曲や描画なども以前AIには不可能だといわれていましたが、最近は抽象的な絵を描いたり名曲を真似してBGMを作るニューラルネットワークも出てきました。AIにはさすがにユーモアは無理という意見がよくありますが、いつかAI芸能人も誕生するかもしれません。

ただ、AI芸能人が誕生したとしても、受けるかどうかは別の問題ですね。人間同士でも面白い冗談の評価基準が異なっていて、関東で面白いとされるお笑いは関西で通じない、関西の芸人が東京ですべるなど想像できますよね。コロナ禍の前はたまに映画館に海外の映画を観に行っていましたが、翻訳のせいか爆笑するはずのシーンでほとんどの鑑賞者が静かにお菓子をかじったり熟睡したりしていました。逆に海外出身の自分は眠くなりたいときは横になって大喜利などを片耳で聞いたりします。

さて、前置きが長くなりましたが、本日はロシアの「アネクドート」(短い笑い話)を三つ紹介しますので、面白いかどうかぜひコメント欄に書いていただければと思います。

① 子どものアネクドート
「車が走る、走る、走る、走る、走る。。。そして、まがぁぁぁぁぁぁぁる!」

② 森の動物を題材としたアネクドート
クマが森の中を歩いて、笑っているウサギに出会います。
クマ:ウサギさん、何がそんなに面白いですか。
ウサギ:バスの運転手さんをだましたよ。なんて間抜けなやつだ! 笑
クマ:いったいどうやって?
ウサギ:運賃箱にお金を入れたが、乗車せずに逃げた! 笑

③ 古典文学を題材としたアネクドート
ホームズ:ワトソン君、今君が吸っているたばこを推理させてください。桜の葉入りで「ロイヤル」のブランドで、特製ラッピングの限定エディションでしょう?
ワトソン:素晴らしい、ホームズ! どのように推理されましたか?
ホームズ:ワトソン君!君以外に私の部屋に忍び込んで最後のパックを盗んだりする人いないでしょう!

以上、いかがでしたでしょうか。

ちなみに、フランシールでは、国境を超える方々を応援してロシア語や他の言語の通訳や翻訳のサービスを提供しておりますので、お手伝いが必要な場合はぜひお声掛けください。
また、この情報が役に立つと思ったら、SNSでも是非共有いただければ幸いです!

(ロシア語担当M)

<めざせ語学マスター>チョムスキー・ナウ(Chomsky, Now)!

2021年8月31日

 

突然ですが、上のかっこいいサイトと、真ん中の紳士は誰だかわかりますか?また、次の動画はどうでしょう。


https://news.yahoo.co.jp/feature/566/

私が毎年試験でその名前と「生成文法理論(generative grammar theory)」を結び付けて暗記していたチョムスキー(Avram Noam Chomsky, 1928年生まれ)氏です!なんと90歳を過ぎた今でも現役のマサチューセッツ工科大学の言語学および言語哲学の研究所教授 兼名誉教授言語学者 、哲学者であり、政治活動家です!!(上のサイトはこちら:https://chomsky.info/)

テキストに出ていた人物がただの伝説の言語学者ではなく、現在もトランプ政権や共和党、コロナ感染症など、今の話題についてコメントしていたり、YOUTUBEに出ていたりするってすごい!言語学など勉強したことなかった私でもその名前を聞いたことがあったほどの超有名人物が今も活動しているという事実は、(失礼とは思いますが)私にとっては生きた夏目漱石に会えるくらいの衝撃でした!

ついついサイトを発見した興奮で、彼の出ているYOUTUBEや、対談を読みたくなってしまいますが、それをするときりがないので、今回はそんな彼を伝説の言語学者にした「普遍文法理論(The universal Hypothesis)」について、できるだけ簡単に学んでみたいと思います。

まずは、彼の紹介。

エイヴラム・ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky、1928年12月7日 – )

ノーム・チョムスキーは1928年、ウクライナ出身の父とベラルーシ出身の母の間に1928年アメリカのフィラデルフィアで生まれました。現在もマサチューセッツ工科大学の教授です。1950年代の彼の著書 『言語理論の論理構造』(The Logical Structure of Linguistic Theory 1955/1975)や 『文法の構造』(Syntactic Structures 1957)は、当時の言語学に革命をもたらしたと言われています。

それにしても「革命」ってすごいですよね。しかし、なぜ「革命」だったのでしょうか。

それを知るために、まず当時のアメリカ言語界の流行を調べてみましょう。

彼の理論が発表された1950年代、主流は、言語はインプットの刺激とその反応の習慣形成によって習得されるとする行動主義心理学が盛んでした。

ワトソン(John Broadus Watson (1878 –1958)

20世紀初頭に行動主義(behaviorism)を提唱したワトソンは人間の心を科学的に研究するために、「心(mind)」自体を研究するのではなく、目に見える「行動(behavior)」を対象としました。「行動」を研究することで心の中身を類推しようとしたのです。(ソ連の生理学者、イワン・ペトローヴィチ・パブロフ(1849-1936)による「パブロフの犬」に、行動主義心理学は大きな影響を受けていました。)

行動主義では、人間の心は「ブラックボックス」として扱われました。刺激(stimulus)、反応(response)、強化(reinforcement)などの関係を研究することでブラックボックスを明らかにしようとしたのです。子どもたちが言語を習得していく過程も母親からの言葉などの刺激を受けて言語を習得しているとされ、子どもたちの発する言語も反応の表れだと捉えられていました。

バラス・フレデリック・スキナー(Burrhus Frederic Skinner, 1904年- 1990年)

アメリカ合衆国の心理学者で行動分析学であるスキナーは、報酬を与えることによって行動が継続すると考え、習慣形成には簡単な行動から複雑な行動へ強化を与えていくことが重要と考えました。彼が提唱した行動主義はワトソンが「行動」の対象から外した「意識・認知・内観 」ですら科学的に研究できるとしており、ワトソンの行動主義が方法論的行動主義(methodological behaviorism)と呼ばれるのに対して、徹底的行動主義(radical behaviorism)と呼ばれました。

スキナーは、彼が発明したラットがレバーを押したら自動的にえさが出て、刺激と反応(バーやボタンを押した数)を自動的に記録できる「スキナー箱」が有名です。(スキナーのオペラント条件づけ:https://genekibar.com/skinner-partial-reinforcement/)。ギャンブル依存症やゲーム中毒もこれで説明できるようです 。)

彼の「習慣形成」の考え方は「オーディオリンガル・アプローチ」の基盤となりました。このアプローチは、音声言語の習得を優先、文系の学習第一でやさしいものから難しいものへ、意味より音韻、文構造が大事、発音練習では模倣練習を行う、母語話者と同様の流暢さを目標にしています。

そういえば昭和の英語の教科書には「This is a pen. This is a book. This is a pencil.」など繰り返しが多かったですが、2021年現在、中学生の息子の教科書にはそんな表現はほぼでてきません。古い英語の教科書と新しい英語の教科書を比べると意外と(昭和世代の)私たちは行動主義の影響を受けて英語を勉強していたことが分かります。(参考:50年以上前(昭和)の中学英語の教科書から令和時代のものまでを徹底比較!

長くなりましたが、以上が1950年代にアメリカで主流だった「行動主義」の説明でした。

この主流派に対して、チョムスキーは異論を唱えます。

チョムスキーは人間の自主的思考能力、言語能力の生得的側面を強調しました。子供は周囲の人の言葉を聞いて覚えますが、いろいろ言い間違いもします。もし言葉を覚えることが、聞いた言葉を真似することだとしたら、そんな言い間違いは起こらないはずです。大人がいちいち間違いを指摘しなくても、子供はいつの間にか正しい言い方を覚えていきます。そこで「刺激の貧困性(Poverty of the stimulus)」という問題に彼は気づきました。

そこで彼は考えます。

確かに・・・。

うちの子供たちはもう大きくなってしまいましたが、保育園にいたころにはかわいい言い間違いをしていました。
「蚊にかまれた」を「カニにかまれた」と言ったり、
「知ってる」というところを「知れるー」と言ったり。
かわいいからといって、こちらも真似して「カニにかまれたー」とか「ママもそれ知れるー」とふざけていましたが、いつの間にか大きくなり、そんなかわいい間違いも幻のように消えてしまいました。また、「いい子でちゅねー。」のようなママ語調で話した言葉はそのまま子供が「そうでちゅねー。」とはなかなか言わないものです。

「かわいかったのにちょっと残念。でもま、それが成長か。」と考えて終わらないのがチョムスキーを始め言語学者たちのすごいところ。

大人が直さないのに、子供は正しい言い方を覚えていく。間違った文を正しくないというインプットや刺激が貧困なのに自然に修正されていく。この事実から、チョムスキーは言語をヒトの生物学的な仮説上の(心理上の)器官によるものと捉えました。人間は生まれながらにして言語獲得装置(LAD;Language Acquisition Device)を備えており、その生得的な能力によって言語を獲得していくと仮定したのです。(ミツバチのミツバチダンスやコウモリの超音波みたいに、人間には言語能力がある)。全ての人間には普遍的で生得的な能力があるとし、それを普遍文法(Universal Grammar)と呼びました。

① 「何もない状態」
普遍原理とパラメータから構成される普遍文法は生まれながらにあります。言語習得を開始する前の子供は言語獲得装置(LAD)の初期状態です。

②「核心文法」が生まれる状態
母親などから個別の言語の入力に触れると、それに合ったパラメータの値が決められます。すべてのパラメータの値が決まると、赤ちゃんの言語で核心文法(Core Grammar)が出来上がります。

③「個別文法」が生まれる状態
個別言語の知識は核心文法だけで構成されているわけではないので、発達段階が進むと周辺文法(peripheral grammar)が含まれてきます。周辺文法は普遍文法の管轄外にあり、普遍文法からは予測できない規則だと考えられています。

しかし、それまで研究の対象から外され、ブラックボックスとして扱っていた「心」を、チョムスキーが「逆に言語学の基礎はここにある」と主張したのは、それまでの言語学者たちにとってはそうとうなショックな出来事(革命)だったようです。しかもヴェトナム戦争を契機にチョムスキーは政治評論活動まで行い始め、言語学専門以外の人にも有名になっていく・・・。きっと当時の言語学者にとっては嫌な存在だったんだろうと想像します。(私が当時の言語学者だったらチョムスキーに「空気読んだほうがいいんじゃない?」とアドバイスしていたかもしれませんね。)

20代の若さでこの論に辿り着いたチョムスキーは、“チョムスキー以前/以降”と時代を区切れるほどに、言語学を根本的に変えてしまいました。また、生成文法理論は認知科学や脳科学、コンピューターサイエンスなど、その他の分野にも大きく影響していきます。

そんな普遍文法理論ですが、問題もありました。実体をとらえにくい、言語能力(linguistic competence) に集中しすぎて、実際の言語運用
(linguistic performance)は研究の対象にされないので、言語教育との関連性があまりみられない、などと批判されました。

またチョムスキーは(このブログで過去に取り上げた)ソシュールフンボルトにも影響を受けています。どのように影響を受けたのか研究すると面白そうですね。

参考 第二言語習得論 アルク
新版 日本語教育事典
「チョムスキー」 田中克彦


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<めじろ奇譚>モンゴル語とロシア語の違い、 なぜモンゴルではキリル文字を使う?

2021年8月27日

左はキリル文字で「モンゴル語」、右はモンゴル文字で「モンゴル語」と書いてある。モンゴル文字は縦書きで左から右へ書く。

モンゴル語に対する認識は、我が国では残念ながら高いとは言えない。直接標題の疑問に答えるだけでなく、多少回り道して、是非知っておいていただきたいと筆者が考える点にも触れようと思う。

1 モンゴル語の言語的特徴について

モンゴル語は、北隣のロシア語と似ているのではと考える人もいれば、一方で南隣のシナ語(いわゆる中国語)と似ているのではと考える方も多いので、ロシア語だけでなく、シナ語との関連も含めて考えてみたい。

複数の言語を比較する際に用いられる手法に、類型論的方法と比較言語学(歴史言語学)的手法がある。類型論的方法とは何かについては、「<めざせ語学マスター>日本語は膠着している」を参照願いたい。その中で、ロシア語は屈折語、シナ語は孤立語、そしてモンゴル語は日本語と同じ膠着語に分類されている。つまり、この3言語は、地理的に隣り合っていても、タイプが全く異なるということになる。と言っても、なかなかピンと来ないかと思うので、実際の文章で見てみよう。ただ、膠着語等の性質は上記のブログに譲るとして、ここでは主に語順に着目して見てみたい。

日本語:モンゴル語に関心を抱く学生の人数が急激に増加した。

ロシア語:Число студентов, интересующихся монгольским языком, резко увеличилось.
                      数が  学生の   関心を持たされている モンゴルの  言語により 急激に 増加した

シナ語: 对蒙语感兴趣的学生人数急剧增加。
          对(に対し)蒙(モンゴル)语(語)感(感じる)兴趣(興味)的(の)学生人数(学生の人数)急剧(急激(に))增加(増加(した))

モンゴル語:Монгол хэлийг сонирхон суралцагчдын тоо эрс нэмэгджээ.
(「語幹-助詞」)           (хэл-ийг) (сонирхо-н) (суралцагчд-ын)
                 モンゴル   語-を      面白いと思-い 学ぶ人たち-の  数(が)急激に 増加した。

注目していただきたいのは、「~人数が」までに相当する箇所であるが、ロシア語は英語等と同じで、日本語とはほぼ真逆の語順になっている。シナ語の語順は、日本語に近い部分もあるが、前置詞のような働きをする語があったり、動詞+目的語の順になっていたりする箇所は、やはり日本語とは異質である。それに対し、モンゴル語の語順は日本語と全く同じということにお気付きかと思う。日本語の格助詞や接続助詞に相当する部分をハイフンで分けて示したが、これも日本語の感覚に非常に近いと言っていいだろう。

次に、比較言語学(歴史言語学)的観点から見たらどうであろうか。比較言語学について詳しく書くことはできないが、大雑把に言えば、複数の言語間に規則的な音の対応を見出し、太古の昔に存在したと仮定される共通の祖先から枝分かれして現在に至っているという系統関係(親縁関係)を探る方法ということだ。

ロシア語は、インド・ヨーロッパ語族のスラブ語派に分類され、同じ語派のポーランド語やブルガリア語等とはきょうだい、同じ語族の英・独・仏語やペルシア語、ヒンディー語等とはいとこのような間柄だ。シナ語はシナ・チベット語族(諸語)に分類され、チベット語やビルマ語等と親縁関係があるとされる。さて肝心のモンゴル語については、どこに分類されるのだろうか。(ウラル・)アルタイ語族(諸語)という言い方になじみのある方は多いのではないだろうか。アルタイ諸語というのは、一般的にモンゴル諸語、テュルク諸語(トルコ語、ウイグル語等々)、ツングース諸語(満洲語、エヴェンキ語等々)をまとめて指す表現だ。しかし、モンゴル諸語やテュルク諸語それぞれの構成言語間の親縁関係は明らかなものの、モンゴル諸語とテュルク諸語、ツングース諸語の間の系統関係の有無については、立証されていない。また、アルタイ諸語とウラル諸語(語族)(ハンガリー語、フィンランド語等)の類似も指摘されているが、ここでは立ち入らない。

結論として、モンゴル語は、類型上も系統上も、ロシア語、シナ語両言語とはつながりがないということになる。

2 モンゴル語を表記する文字について

標題の疑問は、正確には、「なぜモンゴル国ではキリル文字を使う?」とした方がよい。なぜか?モンゴル語は、世界各地にあるように、国境をまたがって使用されている言語で、そのモンゴル語世界の中でキリル文字を使用しているのは、モンゴル国(とロシア連邦内のモンゴル諸語であるブリヤート語とカルムイク語)だからだ。中華人民共和国が指定した56民族の一つでもあるモンゴル族(人)(ちなみに人口はモンゴル国のモンゴル人を上回る。主に内モンゴル自治区に居住。)が使用するモンゴル語はキリル文字を使用しない。

モンゴル語世界では、かつてのモンゴル帝国の時代から、(旧)モンゴル文字が使用されてきた。標題の下に、キリル文字と並べて示した縦書きの文字だ(両文字で「モンゴル語」と表記)。世界史の教科書で、モンゴル語のために考案されたパスパ文字をご記憶の方もいるかと思うが、この文字は元朝崩壊以降廃れた。前世紀の20年代にモンゴル語世界の中央部に独立国が樹立された(当時の名称はモンゴル人民共和国)が、そこでは、旧ソ連の強い影響の下、文字改革が断行され、1940年代にキリル文字に移行した。ロシア語で使用する33文字に2文字を加え、35文字でこの国で標準とされているハルハ方言を書き表す。社会主義体制を擁護するわけではないが、この文字改革により、識字率が飛躍的に向上したということだ。(旧)モンゴル文字の綴りは現代の口語とかけ離れており、口語を基にしたキリル文字正書法が有利に作用したと言えるだろう。一方、後でも触れるが、一つながりのモンゴル語世界を文字面で分断した負の側面も忘れてはならない。なお、キリル文字に移行する前に、一旦ラテン文字化の方針が示されたが、これが覆された経緯も当時のソ連の政治状況と絡んでいて興味深い。この流れは、旧ソ連を構成していた中央アジア等の言語とも共通する。1990年代に民主化されモンゴル国となり、(旧)モンゴル文字復活の機運が高まり、教育でも導入されたが、現在に至るまで、依然としてキリル文字表記が幅を利かせている。

文字圏という概念は、基本的に宗教圏と重なることが多い(例:同じスラブ語派の言語でも、カトリックが優勢なポーランドやクロアチアではラテン文字、正教圏のブルガリア等ではキリル文字。また、イスラム圏でのアラビア文字。)が、モンゴル語を含む旧ソ連圏では、宗教とは関係ない。

一方、中華民国、そして中華人民共和国の版図内にとどまったモンゴル人は、現在に至るまで一貫して、(旧)モンゴル文字を使用している。中華人民共和国の紙幣を注意して見ると、シナ語の他に、(旧)モンゴル文字によるモンゴル語の表記もある(他にチベット語、ウイグル語、チワン語)。

つまり、国境を挟んで、南北のモンゴル人は、口語では相互意思疎通は可能なものの、書き言葉上は分断されているという状況だ。

以上、モンゴル語の言語的特徴及び使用文字について、近隣言語との関連性を軸に見てきた。日本で主に学ばれるのは、ヨーロッパの主要言語とシナ語がほとんどであり、日本語は世界でも特殊な言語だという誤った認識(文字使用の面のみ見れば、特殊と言えるかもしれないが)につながっていることを考えると、モンゴル語(朝鮮語やトルコ語でもよい)等日本語とよく似ている言語を一つでも知ることは、バランスの取れた世界認識のためには欠かせないと考える。

またそれと合わせて、言語世界を国家単位でのみ見てはならないということも強調したい。大言語の陰で衰退の道を辿っている言語がある(何重もの意味で)ことも、今回モンゴル語世界全体を見たことをきっかけに、忘れないようにしたい。もちろん我が国内の言語についても例外ではない。(一老いぼれ職員)

(小文の見解は筆者個人のものであり、必ずしも㈱フランシールの公式見解ではありません。)

<めざせ語学マスター>「宇宙へ」は行くけれど「トイレへ」は行かない?―「へ」と「に」の違い

2021年8月24日

先週の「は」と「が」の違いを書いていると、ずっと前、確かフランス留学中(もう20年以上前・・・)に、日本語を勉強しているという友人から言われた言葉を思い出しました。

「私、日本語の「へ」と「に」の違いが分かったわ。遠くに行くときには「へ」で、近くに行くときには「に」なんでしょう。だから「宇宙へ行く」で、「トイレに行く」。「トイレへ行く」は言わないのよね。」

ひどく納得した感じの彼女に「え・・トイレへ行く、も言える気がするけれど・・・」と思ったものの、「へ」と「に」の違いについてはっきりした説明ができませんでした。「トイレへ行く」も言う気がしますし「宇宙に行く」も言う気がします。一体「へ」と「に」に違いがあるのか、20年以上たった今、解明してみたいと思います。

「新版 日本語教育事典」を開くと・・・すぐに結論がありました!

■目的地を表す「に」と「へ」
方向性をもった主体の移動を表す動詞では、「に」と「へ」どちらも用いることができる。

主体の移動を表す動詞とは、「行く」「写る」「帰る」「寄る」「向かう」などです。

だから
「宇宙に行く」、「宇宙へ行く」も

「トイレへ行く」、「トイレに行く」も

問題ないのです!

また、NHK放送文化研究所の方向を表す「に」と「へ」では下のように書かれています。

  (台風が)「北に向かっている」と「北へ向かっている」の「に」と「へ」は格助詞で、いずれも、「向かう」という移動を表す動詞の到達点や方向性を示しています。一般的に、「に」が到達点そのものに焦点が当てられているのに対して、「へ」はそれよりも広い範囲、つまり到達点とともにそれに向かう経路や方向性に焦点が当てられています(『みんなの日本語事典』参考)。台風の進路を伝える場合は、台風が向かう到着点が決まっているわけではなく、重要なのは「向かう方向」なので、どちらかというと「北へ向かっている」のほうがいいかもしれません。

その観点で考えると、「宇宙」のほうが範囲が広いので「へ」のほうが適している気がします。到達点そのものに焦点が当てられている、という点ではトイレは「に」のほうが適しています。でも「どこ行くの?」「ちょっとトイレへ」とも言えるし(方向性に焦点が当てられているのかもしれませんが)、入れ替えは可能です。

しかし、「へ」と「に」をどこでも入れ替え可能かといえばそうではありません。

「に」は使えるが「へ」は使えないのは、主体や対象の具体的な移動を伴わない場合です。
目的が相手を表す文では「へ」は使えません。つまり
「彼に会う」はいいますが「彼へ会う」はいいません。

また、「黒板に紙を貼った。」(「黒板へ紙を貼った。」はあまり言わない)、「かばんに本を入れてある。」(「かばんへ本を入れてある。」はあまり言わない)のように動作後に対象物がその場所に行きついた状態であることを表す場合にも「へ」は適しません。

逆に「に」は適さないけれど「へ」ならいける、という場合もあります。

「ゴールへのシュート」は言えますが「ゴールにのシュート」は言えません。

「へ」のあとに引用の「と」が続く「学校へと急ぐ保護者」はいえますが「学校にと急ぐ保護者」とは言いません。

「衆議院解散へ」「ごみはくずかごへ」「マネージャーと結婚へ」「コンビ解散へ」などの新聞やニュースの見出しなど、助詞「へ」で終止する言い方の場合は「に」ではなく「へ」を使います。

では次はどうでしょう。

「工場へ走る」「工場に走る」はちょっと不自然な気がしませんか?
これら「歩く」「走る」「泳ぐ」「這う」など、移動そのものというよりは、移動の様態や方法を表す動詞は「へ」や「に」があまり適していません。方向を表すなら「まで」のほうがしっくりします。
「工場に(へ)走った」という場合は「走る」という身体的動作より工場という場所へ「向かう」の意味が強くなります。

では次の用法はいかがですか?

確かに「妻に怒られた」は言えても「妻へ怒られた」とは言えなそうです。
でも・・・あれ?この用法は上記のような「へ」か「に」かの問題でしょうか。カテゴリーがちょっと違うような・・・。

実は、これは上で述べてきた「目的地」を表す「に」と「へ」の問題ではなく、「に」の「使役・受身の動作主」という用法により生じている問題です。この場合はもちろん「へ」に置き換えられません。

では、「に」には他にどのような用法があるんでしょうか。

日本語教育能力試験の解説に詳しい「毎日のんびり日本語教師」のサイトでは以下の用法が記載されています。

1. 移動の到着点(「実家に帰る。」)
2. 変化の結果(「雪が雨に変わった。」)
3. 授受の与え手・受け手(「友達にプレゼントをあげた。」)
4. 動作の目標・到達点(「これから上司に会う。」)
5. 使役・受身の動作主(「私は先生に褒められました。」)
6. 存在する場所(「空に飛行機雲があります。」)
7. 動作の目的(「流れ星を見に行く。」)
8. 原因・理由(「根拠・お金に困っている。」)
9. 時間(「明日朝8時に出発する。」)
10. 基準(「私の家は駅に近い。」)
11. 割合(「1年に1回献血する。」)
12. 状態の主体(「私には夢がある。」)
13. 内容物・付着物(「希望に満ち溢れた顔。」)
14.領域・範囲(~にとって)(「私には難しい。」)

途方もなく多いです。(英語の前置詞も辞書に多くの用法が記されていましたがそれを思いだします。)

こうなると「に」と「へ」の違いだけでなく、別の疑問もわいてきます。

◇ 場所を表す「に」と「で」の違いは?(「空き地にごみを捨てる。」VS.「空き地でごみを捨てる。」)
◇ 時を表す「に」の使用・不使用の違いは?(「3日後にくる。」VS.「3日後くる。」)
◇ 時を表す「に」と「で」の違いは?(「3時に閉まります。」VS. 「3時で閉まります。」)
◇ 起因を表す「に」と「で」の違いは?(「大地震に家が倒壊した。」VS.「大地震で家が倒壊した。」)
・・・

エンドレスです。

結論:「宇宙へ」と「トイレに」の場合、「へ」と「に」は入れ換え可能。しかしこの問題は「に」という助詞のもつ問題の一つでしかない。・・・助詞の問題はしんどいですね。(鍋田)


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<めじろ奇譚>機械翻訳の活用法②

2021年8月19日

今回は前回の投稿の続きです。(機械翻訳の活用法

前回の投稿で、機械翻訳は賢く使い分けることが重要、と書きました。人間翻訳VS機械翻訳、どのように使い分けるのが良いのでしょうか。

フランシールでは、日本語から外国語への翻訳の場合で、「誰かに読んでもらうための文章」については機械翻訳はお勧めしていません。「読んでもらうための文章」とは、成果品として提出するための報告書であったり、レターや記事であったり、読み手に正確に理解してもらうための文章のことです。

機械翻訳を使うと、さらっと読む限りでは感心するような上手な訳がついてきたりします。しかし、機械翻訳による訳文というのはあくまでも「それらしい文章の寄せ集め」であり、じっくり読んでみると「え?」と思うような間違いや抜けが含まれていることもあります。スタイルも統一されていないので、読んでいてちぐはぐな感じもあります。そして一番の問題は、文章を通して書き手が伝えたい意図や、行間について全く考慮されていないという点です。人間翻訳なら当然のように行われる「書き手の意図を理解し、全体の構造を考えつつ文章を書く」ということが機械にはできないのです。(後からポストエディットをかけることもできますが、文章の流れまでは修正できません。)

機械翻訳がその威力を発揮する分野ももちろん沢山あります。一つは大量の資料を読み込む必要がある場合など、スピードを重視したい場合。外国文の資料を大量に読み込みたい、入札図書の内容を短期間で把握したい場合にもお勧めです。マニュアル翻訳にも適していますが、入念なポストエディット作業が必要となります。自分で翻訳ができる方なら下訳として使用するのも大変便利です。

急速に発展している機械翻訳・自動翻訳技術。半年後にはまた新たな技術が登場しているかもしれません。翻訳エージェントとして、私たちも日々勉強を続けています。機械翻訳を御希望のお客様は、ぜひ担当のコーディネーターまでご相談ください。
(上畑)

<めざせ語学マスター>「は」と「が」の違い

2021年8月17日

翻訳業界というのは、いろんな分野から転職してみようと人が訪ねてくる業界のようで、金融会社の社内通訳だった人がフリーランスの通訳に転向したり、化学品メーカーで勤務後に特許翻訳者になったりする人もいます。通訳・翻訳者希望の方にお会いするとこちらのほうが勉強になることも多いですし、ご本人は「法律を勉強したといっても商法専門でして・・」とご謙遜されてるのに「他にどんな専門があるんですか?」と聞いて唖然とされたこともありました。

あるとき、日本語学を大学院で研究されている方とお会いしたことがありました。外国語もできるので翻訳者を目指してみようかと思っていらっしゃっているとのこと。
「日本語学を専門に学ぶって・・・あ!「が」と「は」の違いとかを研究する学問、そうですか?」
「そういうのもありますね。」
「知りたいです!教えてください。」
というと、ご本人は少し困った様子。「あれ?どうしたんですか?」と聞くと
「説明してもいいですが、1時間ほどかかってもいいですか?」

面談にきていたのに1時間の講義をしていただくわけにもいかず、その日は断念しましたが、今回はその時から謎だった「は」と「が」の違いについて書くことに挑戦してみたいと思います。

まず最初は日本語の助詞(particle)の種類を知る必要があります。助詞には以下の種類があります。日本語の助詞は例えば英語のat, in, ofなどの前置詞(preposition)とは逆に後ろにつくので後置詞(postposition)と呼ばれることもあるそうです。(そういわれて初めて過去英語で何度も見た「前置詞」の意味がわかったと思ったのは私だけでしょうか。)

さて、助詞・・と聞いただけで学校で習った文法を思い出してゾッとするかもしれませんが、「が」と「は」の説明には欠かせない知識なのでここはぐっと我慢して見ていきましょう。以下に日本語の助詞の種類を示します。

格助詞 case markers  が・を・に・へ・と・から・より・で・まで
(「の」を入れる場合もあります。)
とりたて助詞 focus particles  は・も・ こそ・ さえ・まで・すら・でも・だけ・のみ・など・・・
終助詞 sentence ending particles よ・ね・ぞ・ぜ・わ・か・・・
接続助詞 conjunctive particles けど・が・ので・から・たり・し・と・ば・たら・なら・・・
並立助詞 parallel markers と・か・や・に・やら・だの・とか・・・
複合助詞 compound case particles に対して・にとって・について・に関して・をめぐって・として・・・

いろいろありますが、今回は「が」が入っている格助詞と「は」が入っているとりたて助詞だけを見てみます。

格助詞は、主に名詞に付いて、動詞との関係づけを行います。文の中で勝手に位置を変えることはできず、文の骨組みを作るために必要な助詞です。

とりたて助詞は、その文の中で述べられていること以外の情報を提示する助詞で、格助詞と違ってかなり自由に位置を変えることができます。「とりたてる」機能からとりたて助詞と呼ばれるようになりました。

(お金を催促する「取り立て」ではなく、「多くの中から特別に取り上げる」の意味。)

「が」と「は」以外に、例えば「まで」は格助詞にもとりたて助詞にもありますが、これは「駅まで行ってくる。」の「まで」と、「君までうそをつくのか。」の「まで」の違いです。「駅まで行ってくる。」には特に文以外の意味は感じられませんが、「君までうそをつくのか。」には、君がうそをつくことに驚いているというニュアンスが加わっています。

ちなみに、とりたて助詞は、学校文法では「係助詞けいじょし」「副助詞」と教えられている助詞たちです。

格助詞がニュートラルに語同士の方向性を示してくれるのに対して、“とりたて助詞”はちょっと特別なニュアンスを追加します。では、「が」と「は」を比べてみましょう

「え・・どっちも主語じゃないの?」
と言いたくなりますね。確かに英語に訳すとどちらも「The flower blooms.」。

「花咲く。」
ここでは花が「咲く」の主体(subject)であることを表しています。

「花咲く。」
ここでは花がこの文の主題(topic)であることを表しています。「about」とか「concerning」のように考えてみたらいいのかもしれません。「花に関していうと、咲きます。」とも考えられます。

「~は」は主題を示し、「~が」は主格を示します。主題を示す「は」のある文を有題文(または主題文)、「は」のない文を無題文といいます。無題文は一般に、主格を示す「が」はありますが、主題を示す「は」はありません(有題文と無題文について詳しく載っているサイト:有題文と無題文)。

上記では「花は咲く。」は恒常的、繰り返し起こることとして、「主題」を表していますが、下のように一時的な事態(過去)になると、「主題」のニュアンスが消え、別の「対比」のニュアンスが強く表れます。


「花咲いた。」は特に文章以外の情報を特に感じませんが、「花咲いた。」になると、「え?何は咲かなかったの?」と聞きたくなるニュアンスを醸し出します。これが「は」のもつ「対比」の用法です。

では次はどうでしょう。

「花きれいだ。」・・・って言えなくもないけれど、「花きれいだ。」のほうが自然な気がします。「花がきれいだ。」は、突然目の前に花畑が現れて見とれて言っているようにも感じます。「赤い花が一番きれいだ。」のようにすると違和感がなくなります。なぜでしょう。

これは「が」が形容詞文や名詞文につくと「中立の「が」ではなく、「排他的な「が」(または総記の「が」)」になってしまうからです。ただ、口から思わずこぼれた「花がきれいだ!」のような用法は中立叙述の「が」のままです。

さて次も見てみましょう。今度は述語を変えてみます。

「花が咲く。」「花は咲く。」の文章では「花」は主語・主格でしたが、同じ「が」と「は」でも、ここでは「好き」の目的・対象となっています。実はこれには述語が関係しています。「が」は「好きだ」「憎い」「ほしい」など述語が感情・感覚を形容詞で表すとき、その感情・感覚の向けられる対象を表します。

(*英語だとlike, hate, want と全て動詞なのでややこしいですね。しかし日本語の「嫌い」「好き」は形容詞。日本語の述語は全て動詞ではないので、英語の文法で習うS(主語)+V(動詞)+O(目的語)は、日本語の主語述語には当てはまりません。)

最後に、「が」と「は」の用法をまとめてみます。

助詞の種類 格助詞 とりたて助詞
用法 ①前接する名詞が「動作・出来事の主体」であることを示す。

動詞文のとき:中立叙述の「が」
形容詞文・名詞文のとき:排他の「が」

②前接する名詞が「目的・対象」であることを示す。(状態性述語の場合のみ)

①前接する名詞が文の主題を表す。(主題の「は」はどの助詞にも属さない特別な助詞とも言う説もあります。)

② 前接する名詞が対比を表す。

こうみると、「は」と「が」の話は複雑で、調べだすと迷路に迷い込んだ気持ちになります。この話題で本や論文もたくさん出ています。日本語を母語とする人にとっては意識して使い分けることはないとしても、説明しようとすると重労働です。英語の定冠詞や単数・複数といった使い分けは英語ネイティブには簡単でも、学習者には難しいのも同じなのかもしれません。

上記以外では、主題を表す「は」は複文(主語・述語が複数ある文)のうち、ある一定の節の中では使えないという制約もあります。例えば「花はガーベラなら」、「花は咲いたとき」、「花は咲くように」、「私は買った花は・・」、「私は花を買ったこと・・」などは言えません。もしも気になったら是非もっと調べてみてください。

「は」って特別なんだなあ・・・

と思いましたか?

そして「は」が他の助詞と違って特別である理由にはこれ以上に下の特徴があげられます。
下は夏目漱石の「吾輩は猫である」の冒頭です。

 吾輩猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。・・・・

最初の「吾輩は」はその次の文章「どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。」にも「何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。」にも働いています。

三上章(1903年 – 1971年)という言語学者がこれを「は」の「ピリオド越え」と呼びました。最初の文の文頭の「は」が、ピリオドを超えて次の、またそのあとの文章にも係っているというものです。(『象は鼻が長いー日本語入門』)三上氏は「日本語に主語はない」と喝破したらしく、その伝記も出版されています(主語を抹殺した男/評伝三上章)。気骨のある言語学者ですね。

なるほど・・・。これが日本語の機械翻訳が難しい理由の一つなんですね。ためしに冒頭の文章を英訳してみます。

(機械翻訳)
I am a cat. There is no name yet.
I have no idea where he was born. I remember only crying in a dim and damp place.

突然”he” が出てきて、逆に「一体だれのこと?」と思う文章になってしまいました。AI翻訳が主語を取り間違うのは、日本語の構造に理由があるんですね。主題が2センテンス前にあるなんて、AIもなかなか気づけないですよね。(しかしAI翻訳は日進月歩で進化しているので時間の問題かもしれませんが・・・。)

最後の最後に。ここまで見てきた私の個人的な「は」の印象は野球でいうとホームラン。「は」でホームランを飛ばしたあとは、「が」のヒットがいくつか入っても点数が入る・・・・。やはり「は」は助詞の王様なんですね。(鍋田)

参考
新版 日本語教育事典
アルク 日本語の文法―基礎 山内博之


<めざせ語学マスター>日本語教育に関するブログはこちら

英語は聞いていたらペラペラになる・・・か?(クラッシェンのモニター・モデル)
チョムスキー・ナウ(Chomsky, Now)!
「宇宙へ」は行くけれど「トイレへ」は行かない?―「へ」と「に」の違い
「は」と「が」の違い
ネイティブチェックは「ネッチェッ」になるか。拍(モーラ)と音節
ハヒフヘホの話とキリシタン
日本語は膠着している
ネイティブ社員にアンケート!
RとLが聞き分けられない!?
シニフィエとシニフィアン
文を分ける 文節&語&形態素
やさしい日本語
来日外国人の激減について
学校文法と日本語教育文法
日本語教育能力検定試験に落ちました

<めじろ忌憚>フランスのコロナ状況と対策

2021年8月12日

フランスの感染者数は2021年6月時点で約570万人を超えており、世界で4番目の規模となっている国です。

2020年1月にフランスで初めて新型コロナウイルスの感染が確認されました。
2020年3月にマクロン大統領は、生活必需品の取り扱い店舗以外の休業を発表しました。
学校も休むことになり、テレワークも促された一方、入国禁止およびロックダウンの対策も実施されました。
そしてマスクが圧倒的に不足しており、輸入するなど、行き渡るのに数ヶ月間かかりました。
マスクの必要性については、専門家の意見も分かれていましたが、結局はマスクを付けないと罰金を課せられる条例が実施されました。
尚、医療関係者以外には、老人ホームの訪問も立ち入り禁止になりました。

2020年3月にマクロン大統領がテレビで発言しました。
https://www.europe1.fr/politique/confinement-report-des-municipales-ce-quil-faut-retenir-de-lallocution-de-macron-3955798

2020年の夏から、コロナの状況が一旦落ち着いてきましたが、秋になると再び状況が厳しくなり、ロックダウンが改めて実施されることとなりました。
第一ロックダウンと違い、第二次ロックダウンでは学校は休校にはなりませんでした。
2021年の2月には第三次ロックダウンが実施されましたが、今回は、コロナの状況によって各地方自治体による条例は様々でした。例えば、ある地方では住民票に記載されている住所から10キロ以上離れるような移動は禁じるという対策もありました。(テレワークが不可能な場合を除く)
ワクチン接種への取り組みは他国より遅いと様々なメディアから厳しく批判されていましたが2021年6月時点でワクチン接種済みの人数は3200万人を超えており(1回目)、一日あたりの感染者数は2000人以下になりました。

フランスの大規模接種センター
https://www.france24.com/fr/france/20210402-covid-19-le-vaccinodrome-des-yvelines-maillot-jaune-de-la-vaccination-en-france

昔様々な出来事を乗り越えたフランスという国は、今回もコロナ問題を乗り越えるだろうと思えますが、これからも取り組む必要がある課題は他にもたくさん残るでしょう。
例えば、多くの専門家が第4波について懸念しています。拡大を抑えるためには、2回目のワクチン接種率が80%以上を達成する必要性も改めて強調しました。(ダミアン)

 

<めざせ語学マスター>ネイティブチェックは「ネッチェッ」になるか。拍(モーラ)と音節

2021年8月10日

「日本語には文法というものがない」
とよくぼやいているアメリカ人スタッフがいました(今はフリーランスとして翻訳や校閲などをしています)。
「主語がない」
「1文がやたらと長い」
「日本人でも読めない漢字があるのはおかしい」
などなど・・・

反論しようとするけれど、うまくできず、自分の知識が足りないことにイライラしました。それで始めたのが日本語教育の勉強なので、ある意味彼には感謝しています。

そんな彼がある日、ルールがないという日本語の中のルールを見つけ、新しい言葉を作りました。

「ネイティブチェックは“ネッチェッ”になる!」

日本人は何でも省略する、パーソナルコンピューターはパソコンになるし、リモートコントローラーはリモコン、スマートフォンはスマホ、というわけで、ネイティブチェックだって省略していいはずだ、とのこと。

「な・・・なんか違うと思うけど・・・」

しかしなぜ違和感を感じるのか説明できず、なんだかモヤモヤ感が残りました。なぜ、「ネッチェッ」に違和感を感じるのか、はたしてそれば本当にあり得ないのか、ずっと不思議に思っていました。今回のブログではこの違和感について少し考えてみようと思います。

確かに日本語は長い言葉をよく短縮します。
歌手やゲームの名前なら
 ポケモン:ポケットモンスター
 アツモリ:あつまれどうぶつの森
 ミスチル:ミスターチルドレン
 ドリカム:DREAMS COME TRUE
 キムタク:木村 拓哉
 ヒゲダン:Official髭男dism
・・・などなど、有名になればなるほど短縮形の呼び方が市民権を得るようなところがあります。

トレンドワードばかりではなく、カタカナの機器名もよく短縮されます。
 パソコン:パーソナルコンピューター
 リモコン:リモートコントローラー
 スマホ:スマートフォン
 エアコン:エアーコンディショナー
 カーナビ:カーナビゲーション

セクシャルハラスメント(セクハラ)やパワーハラスメント(パワハラ)など、ハラスメントがついた短縮形は最近どんどん増えていきます。
 モラハラ:モラル・ハラスメント
 マタハラ:マタニティ・ハラスメント
 カスハラ:カスタマー・ハラスメント

別にカタカナだけの長い単語が省略されるわけではなく
 合コン:合同コンパ(そもそもコンパだってコンパニ―(company)の略)
 婚活:結婚活動
 就活:就職活動
 終活:人生の終わりのための活動
そういえば最近まで見てたドラマ「リコカツ」は離婚活動の略でした。

流行じゃないの?ポップな言葉だけでしょ、かと思うと意外に真面目な言葉も縮められています。

 国連:国際連合
 行革:行政改革
 英検:英語検定
 文科省:文部科学省

日本人はやはり長い単語(複合語)はなるべく短くしたい、それも出来れば4拍にしたい、という性質があるようです。

これは日本人のリズム感、日本語の「拍(モーラ)」という特徴に原因があります。日本語は「拍」でリズムをとる言語です。拍はどれも等間隔で、「は」「く」のような仮名1文字で表される直音も、「しゃ」「しゅ」のように小さい「や・ゆ・よ」がついた拗音ようおんも、「ッ」「ン」「―」のような特殊音も一つの拍として数えます。(日本語の特殊音には「―」の長音、「っ」の促音、「ん」の撥音があります。)

例えばパーソナルコンピューターは、

で11拍。

*ちなみにコンピューターのような「ター」は「ー(長音)」を省いて「コンピュータ」と表すことも出来ます。参照:文化庁「外来語の表記」留意事項その2(細則的な事項)

さて、このPersonal Computer、英語では何拍になるんでしょうか?
・・いえいえ、英語では「拍」では数えません。学校でも習った「音節(シラブル(英: syllable))」で数えます。

英語の音節は「(子音)+(母音)+(子音)」(CVC)の音のかたまりで一つになります。(子音はゼロのときも、複数あることもあります)。strikes もstreets も1音節、a や eye も1音節。(eye[ái] は母音が2つありますが、このような2重母音は1つの音節として数えます。)

Personal Computerの音節は以下のようになります。

合計すると 6つの音節からできています。
どうやって音節を数えるか?一番確実なのは辞書を見ることでしょう。

per・ son・ al と分かれているのは音節の区切りを表しています。音節が3つであることがわかります。

com・put ・er で、音節は3つ。

日本語と英語では、リズムのとり方が全く違います。
日本人が英語の歌を歌いづらいと感じるのは、この拍と音節の違いが関係してくるんだと思います。英語の歌は音節を一つの音符に乗せるのに対して日本語は拍でリズムを取ります。

例えば「小さな世界(It’s a small world)」の歌詞を見比べてみると、日本語は拍が音符にのっていますが、英語では音節が音符にのっています。一つの音符に対して子音がたくさんあるので歌いづらく感じるんだと思います(少なくとも私はそう感じます)。また日本語が母音で終わる語が多い開音節なのに対して英語は子音で終わる閉音節の語が多いということも影響していると思えます。

では日本語には音節がないかというと実はそうではありません。
先にあげた特殊音(「―」「っ」「ん」)は一拍ではありますが、音節とは数えられません。
なので、音節としては7音節、拍で数えると11拍になります。(赤いところが特殊音)

音節と拍の違いについての詳しい説明は、日本語教育能力試験についての解説がされているこちらのサイトを是非ご覧ください。音節と拍(モーラ)の違いと言語のリズム

日本語を音節に分ける、として「あ・ん・し・ん」が「あん」「しん」と分けられるのはなんとなく分かる気がしますが、俳句や短歌での「七五調、五七調」の数え方も、しりとりも、通常「拍」で数えているので、日本語ネイティブにはどうしても拍をリズムだと感じ取ってしまうところがある気がします。(ケンケンパ、の「グリコ」「チョコレート」「パイナップル」も拍で数えていますが、チョコレートだけは「チ・ヨ・コ・レ・ー・ト」と本来5拍のところが6拍になっています。)

話は元に戻りますが、Native check はどうかというと、[na・tive] [check] は英語なら3音節です。日本語にすると以下のようになります。

拍数は7つ。最初の2拍(ネイ)と2拍(チェッ)を足すと「ネイチェッ」です。でも特に最後の「ッ」が残るのに気持ち悪さを感じてしまう自分がいます。

国際交流基金「複合語短縮」の論文(日比谷潤子)(1998年6月)には、複合語短縮事例365語が調査されています。1998年の論文だからでしょうか、2021年現在ではあまり見ないものもありますが、現在も使われ続けている複合語短縮も多いです。この論文によると当時使われていた365語のうち、307語(84.1%)が4モーラ(拍)語であり、さらにそのうち304語が前部要素から2拍、後部要素から2拍をとって構成されているとしています。また、そうした「2拍+2拍→4拍」のパターンがもっとも生産的としつつ、約20%の例外をタイプ別に分類しています。

例えば
★短縮語形の最終モーラ(拍)の劫音(ャュョ)は直音化する
 アメリカンカジュアルは「アメカジュ」ではなく「アメカジ」
 マスコミュニケーションは「マスコミュ」ではなく「マスコミ」

★はじめから 2拍とると2拍目が長音(ー)になる場合,その長音ではなく,その次の拍を残す
 空オーケストラで「からオー」ではなく「からオケ」
 スーパーコンピューターは「スーコン」ではなくて「スパコン」
 パーソナルコンピューターは「パーコン」ではなくて「パソコン」
*ゲーセンのような例外あり

★後部要素のはじめの2拍をそのままとると短縮語形が促音(っ)で終わることになってしまう場合、促音をとばして、次の拍を残すケースや、促音を「(大きい)つ」に変える

 アメリカンフットボールは「アメフッ」ではなくて「アメフト」
 断然トップは「だんとっ」ではなく「だんとつ」

なるほど、この例に沿えば、ネイティブチェックも、「ネイチェク」となります。4拍になり、収まりがいい気がします。

しかし、さらに3拍になる例外も記載がありました。
★後部要素のはじめから 2拍とった時, 2拍目が促音(っ),及び長音(ー)の場合は,後部要素の1拍目のみをとり,その結果短縮語形が 3拍になる傾向が強い.

 ポテトチップス→ポテチッではなく「ポテチ」
 ミスタードーナッツ→ミスド―ではなく「ミスド」
 ファミリーマート→ファミマ―ではなく「ファミマ」

この例にならうと3拍になって「ネ・イ・チェ」もありなのかもしれません。
「バイト(アルバイト)」(昔は「アルバイ」だったそうですが)、「スマホ(スマートフォン)」「エゴサ(エゴサーチ)」「ダンパ(ダンスパーティー)」「プラモ(プラモデル)」・・・3拍の短縮語形も結構ありますね(しかし4拍の短縮語形に比べるとやはりまだまだ劣勢)。特に長音(ー)は省略されることが多いのかな、と思って最近の略語を調べていると「アラサー(アラウンドサーティ:おおよそ30歳)」「アラフォー(アラウンドフォーティ:おおよそ40歳)」なども出てきました。「2拍+2拍→4拍」パターンはなかなかしぶといです。(ちなみに「おおよそ60歳」は「アラカン(還)」!)いずれにせよ、ソシュールが見たらびっくりするだろう語のぶった切り方です。形態素(意味をもつ表現要素の最小単位)なんてなんのその、日本語の拍というリズム感覚はオリジナルの英語の意味や音節を飛び越えていきます。

さて、こんなに書いてきてなんですが、私は個人的には「ネイティブチェック」という用語そのものがあまり好きではありません。官庁系の入札図書などには今日もよく「翻訳にはネイティブチェックを行うこと」という条件が課されているものがありますが、読むたびに「最初からネイティブが訳したらどうするんですか?」とか、「ネイティブなら誰でもいいんですかー?」と心の中でつぶやいてしまいます。フランシール社が昨年取得した翻訳サービスの国際規格、ISO17100では、翻訳後のバイリンガルチェックが必須とされていますが、これは特にネイティブが行わなければならないものとはされていません。実際、以前翻訳のトライアルをした際、他の英語ネイティブ候補と比べてもベストな翻訳を提出したのがスウェーデン人のS氏でした(現在課長職)。ネイティブチェックという概念、これも日本固有のものなのかもしれないなと思います。(鍋田)

<後日談>先日「ネッチェ」を発明した彼に、「やはり私はネイチェクだと思う」と伝えると、「いや、”ネッチェ”のほうがいい。」とのこと。理由を聞いたら「小さい “ッ” が多いほうがかわいいでしょう?」と言われました。そこ?!


<めざせ語学マスター>日本語教育に関するブログはこちら

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チョムスキー・ナウ(Chomsky, Now)!
「宇宙へ」は行くけれど「トイレへ」は行かない?―「へ」と「に」の違い
「は」と「が」の違い
ネイティブチェックは「ネッチェッ」になるか。拍(モーラ)と音節
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<お知らせ>フランシールにご登録いただいた翻訳者・通訳者の皆様へ

2021年8月9日

ご登録情報更新のため、転居等でご住所(居住地)を変更した場合は、指定書類(登録フォーム)の再提出をお願いしております。
正しい住所が登録されていない場合、郵送物(書類等)の不達だけでなく、例えば日本から海外へ転居する場合は報酬から控除している源泉徴収等にも影響いたします。
転居先が海外であっても国内に所得が発生する場合には、源泉徴収が必要となり、その源泉税率は居住者扱いか非居住者扱いかで異なります。

正しい金額をお支払いをするためにも、現住所の把握は必要ですので、
転居する際は、速やかに登録フォームをご提出くださいますようお願いいたします。

ご不明な点やご質問などございましたら、以下までご連絡ください。
よろしくお願いいたします。

【本件に関するお問い合わせ先】
総務・経理部
Tel: 03-6908-2180 (平日 9:30~17:30) e-mail:info@franchir-japan.co.jp

<めじろ奇譚>言語は言語でもプログラミング言語とは①

2021年8月5日

みなさん、こんにちは。フランシールに所属するフランス語の通訳、翻訳をしている芹澤と申します。

私の業務は、お客様の意図している文章や話そうとしている言葉を、世界で使われている様々な言葉のある一つのものからもう一つのものに置き換える(すなわち翻訳)か、言い換える(通訳)する事になります。

そして私自身は、ODA(日本の開発援助)のお仕事を頂いて、アフリカのフランス語圏の国々に行って調査団の通訳をしたり、関連する翻訳をさせて頂いたりが主たる業務です。

日本語や英語で書かれた書類をフランス語にしたり、フランス語で口頭で話されている内容を日本語に置き換えて話す、等が仕事、という事になります。

それ以外にも、パソコンを組み立てたり、色々な機械を分解して、壊れた2台のゲーム機から動く1台を再生したりする事などを趣味としているので、パソコンサポート的な事もしております。

そんなわけで今回は言語のお話ですが、プログラミング(プログラム)言語についてのお話をさせて頂きます。

世界には3000から5000もの言語があるといわれています。そんなにあるとは思っておらず、実は今ネットで検索して出てきた数字です。すごい数あるものですね。

今はコロナ禍ということもあり、海外からの観光客もほとんど日本にいらっしゃらないですが、今や街を歩けば外国語を話す方はすぐそばにいらっしゃるわけで、色々な言葉を見聞きすることも身近になっている訳です。

ところで、私たちが話したり聞いたり、書いたり読んだりする言語以外にも言語と呼ばれるものが存在します。プログラミング(プログラム)言語と言われるものです。

私たちは余り意識せずに毎日暮らしていますが、じつは私たちのまわりにはプログラム言語で出来たものであふれかえっています。

パソコンやスマートフォン(スマホ)は私たちの生活に今や欠かせない道具としてひとり一台、あるいはそれ以上の数持ち歩いたり、自宅やオフィスでそれを使って毎日仕事や生活をしています。

私たちが何気なく使っているパソコンやスマホは機械として様々な部品で出来ていますが、目に見える部品だけでなく、様々なプログラムという目に見えない部品からも出来ています。

スマホも電話を掛けられるコンピュータな訳ですが、コンピュータは機械語とかマシン語と呼ばれる、頭脳であるプロセッサという部品が直接理解出来て、実行出来る一連の命令で動いています。
スマホに入れているラインやスカイプ、パソコンで毎日使っているワードやエクセルといった様々なソフトウェアやアプリもそうですが、OS、いわゆるオペレーティングシステムと言われる、パソコンやスマホを動かしている、おおもとになるシステムもプログラムです。

パソコンの自作をされた事がある方はお分かりでしょうが、パソコンの部品を組み立てて電源スイッチを入れてもそれだけでは何も動きません。

オペレーティングシステム(OS)が入っていないからです。パソコンを組み立てて、OSをインストールして初めて私たちが使えるパソコンになるわけです。

スマホも同じです。何も入っていないスマホは、電源ボタンを押してもうんともすんとも言いませんし、何も起こりません。プログラムが何も入っていないからです。

ただ、スマホの場合には、私たちが手に取ってみる時にはすでにOSが入っていて、電源ボタンを押せばOSが立ち上がる様になっているので、私たちは気が付かないのです。

さて、iPhoneであれアンドロイドであれスマホの画面にはアイコンが表示されていて、それをタップしてアプリを起動させます。パソコンにもウインドウズやマック、リナックスといったOSがあります。そしてデスクトップにはアイコンが表示され、それをクリックする事でプログラムを実行させているのです。

私たちは絵(アイコンですが)を指先で軽くたたいたり(タップ)、マウスでカーソルを動かして絵のところに持って行ってボタンを二回たたいたり(ダブルクリック)しているだけですが、パソコンやスマホの中では、その絵(アイコン)が示しているプログラムを実行せよ、という命令が実行されているのです。

ところで、翻訳という言葉は英語にするとTranslationと言いますが、通訳はInterpretationと言います。このInterpretationという言葉は通訳する、という意味以外にも解釈する、とか判断する、という意味があります。

言語という繋がりで見ると、スマホやパソコンはアイコンをタップしたり、クリックしたりする行為をInterpretation解釈、通訳してプロセッサに伝えている訳です。

そう考えると、プログラミング(プログラム)言語というのは人間とコンピュータという、そのままでは通じ合えないものどうしをつなぐ言葉なわけです。確かに言語です。誰が言語と呼び出したのか、と感心していまいます。

話をちょっと変えて、これを言うと年がばれてしまいますが、パソコンやスマホどころか、昔はテレビ、と言えばスイッチを入れて(つまみを引っ張って付けるのが多かったです)、その前にかしこまって、眺めるものでした。お茶の間にあって一家総出で拝見させて頂くものでした。それを使って遊ぶなんて想像すらできませんでした。

テレビゲームと呼ばれるものが出てきたのは私が小学生の頃でした。インベーダーゲームが大流行したものでした。喫茶店やゲームセンターに行って、貴重なお小遣いの中から100円玉を投入して、ゲームをしました。家でやるなんて代物ではありませんでした。

私がそんなものに興味を持ったころ、原始的な家庭用テレビゲーム機やマイコンといったものが世の中に出てきました。

最初期に発売されたNECのTK80、という機械は、何で知ったのか覚えていませんが、電子部品の塊で、なんだかすごく憧れました。自分ではんだ付けしたりしないといけないですし、今のパソコンのようなアルファベットのキーボードがあるわけでは無く、電卓の様なキーボードでマシン語のプログラムを入力するもので、算数も数学もとても苦手な身にはとてもでは無く手が出せませんでした。だいいち、値段が高すぎて夢に見るようなものでした。

それからしばらくたって池袋のパルコにあった三省堂書店にキーボードのついたパソコンが置かれていたのを覚えています。七色のリンゴのマークがついていました。今思えばあれはアップルIIでした。マッキントッシュの先祖になるアップルが世界中に知られることになったパソコンでした。当然お値段も高すぎてとてもではありませんが手の届くものではありませんでした。

その後ファミコンなんかが出てきました。
いろんな会社からゲームが出来たり、プログラムが出来たり、というパソコンと呼ばれるものも出てきました。
そんなとき、それらの初期のパソコンの中から割と安く手に入るMSXというのを手に入れました。これはテレビにつないで使うもので、そのころのファミコンと同様にアンテナのところに接続しテレビでNHKの総合放送が映る1チャンネルのとなりの2チャンネルにして写して使いました。

MSXはファミコンの様にカートリッジ(ゲームカセット)を差し込むとゲームが出来ます。市販のゲームを遊ぶときはカセットを刺してから電源ボタンを押すとゲームが始まります。何も刺さずに電源を入れるとベーシックというのが立ち上がります。
ベーシックは初心者も扱いやすい、と言われたプログラム言語になります。
ただし、電源を入れて立ち上がったベーシックはコマンドを打つとかプログラムを保存していたカセットテープから読み込むとかしないと、何もしてくれません。

当時MSXの雑誌もほかのパソコンの雑誌も発行されていました。ゲームの情報なんかが載っていたりするので私は毎月MSXの雑誌を購読していましたが、そこには巻末に毎月ゲームのプログラムが掲載されていたりしました。読者が応募して選ばれたゲームだったりするのですが、確かベーシックのプログラムもマシン語のプログラムも掲載されていたと思います。

マシン語は16進数の数字の羅列で、とてもじゃないけど、間違わないで打ち込むなんてことは天地がひっくり返っても出来るとは思えません。なのでそれよりはとっつきやすいと思われた、ベーシックで書かれたゲームのプログラムなんかを打ち込んでカセットテープに保存して遊んだりしていました。私のMSXにはカセットテープ以外に保存出来る方法がありませんでした。そうでないと、あんなに苦労して時間を掛けて打ち込んだプログラムは電源を切ると消えてしまったのです。

そうして苦労してプログラムを打ち込みます。

でも、どこかに打ち間違いがあると動かないのです。ゲームが始まりません。ゲームといってもインベーダーゲームを簡単にしたような奴とか、ボール(玉)が動くだけ、とかなんですけど、どこかで打ち間違っているのです。

SyntaxErrorという表示を何回見たことでしょうか。そして、ため息をつきながら間違っている場所を探しては直していくのです。

これをデバッグと呼ぶようですが、当時そんな用語なんか知る由もなく、ここだ、あった、なんていいながら直してはカセットテープに保存していました。何日もかかっても一向に動いてくれない、なんてこともしばしばでした。結局動かないままあきらめたことも何度もありました。

と、どうでもよい個人的な思い出になってしまいました。

そういえば、翻訳や通訳も同じです。ちょっと言葉を間違える、言葉の順番を間違える、それだけで文章の意味は変わります。

思い出話は置いておいて、現在に置き換えてみます。最近弊社も音声関連のお仕事なんかをやらせて頂いています。そんな中、私たちもプログラム言語について色々勉強をしたりする機会がどんどん増えているのです。

今回のタイトルのプログラミング言語から思い出話になってしまったわけですが、今のパソコンもスマホも基本的な仕組みは昔のものと変わっていません。
プロセッサが命令を処理する事で動くわけですが、私たちの目に触れる中では一番基礎の部分になるオペレーティングシステムも私なんかからすれば膨大なプログラムの塊をプロセッサが処理することで動いているのです。そして、様々なアプリはOSの上で動くわけです。
プロセッサ自身は機械語(マシン語)による命令で動くわけですが、わたしたちにはマシン語は難しすぎます。ですからプログラム言語を使ってプログラムを書いて、それがマシン語に置き換えられ、すなわちInterpretationされてパソコンやスマホは動いている訳です。そう考えると私の仕事である、翻訳や通訳の世界と良く似ている気がします。
でも、正直全然違う気もします。

フランス語通訳、翻訳 芹澤 紀青

 

<めざせ語学マスター>ハヒフヘホの話とキリシタン

2021年8月3日

オフィスでパソコンに向かっていると、フランス人の新人スタッフが私の席までやってきて言います。
「すみません、アンコください。」
「え??あんこ(餡子)?」
「あ、んこです。」
「ああ、判子ね。」

そう、フランス人は「H」の発音が苦手です。母音だけで16個(!)も使い分けられるのに、Hの発音がないのはすごく不思議。私の名前「ひさえ(HISAE)」も、フランスでは「イザエ、イザエ」と呼ばれていました。

今日はそんな「H」の発音の話。

先日サ行の発音の中で「シ」だけは「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」の「シ」を使っていて
実際は下のように子音が違うと書きました。(「RとLが聞き分けられない」

*調音法 (口腔内における呼気の妨害の方法)の摩擦音とは、口の中を調音点で狭めて作り、隙間に呼気をとおして出す音です。今回出てくるサ行・ハ行の発音は全て摩擦音ですが、この他マ行、ナ行は鼻音、パ行・バ行、カ行は破裂音、ラ行は弾き音、など日本語の発音には6つの調音法があります。

上の図を見ると、シを発音するとき、舌の位置がやや後ろにずれているのが分かります。「スィ」(歯茎音:上の歯茎に舌端または舌尖を接触または接近させて調音する子音)と「シ」(歯茎硬口蓋音:歯茎から硬口蓋にかけての広い範囲で舌を接近ないし密着させることによって調音される子音)の間の差は微妙です。

しかしハ行はもっと違います。

調音点(どこに空気をぶつけて音をだしているかというポイント)は、少しずれる、とかではなく喉奥(声門)から口先(両唇)までと口の中の前後で大きく変わっています。同じハ行に分類されているのに、子音としては全く違っているのです。翻って、英語のheの発音は[híː], who の発音は[húː] です。日本語の「ヒー」や「フー」とは違って、どちらかというとhe は「ヘィー」、who は「ホゥー」という感じで発音するもののようです。

驚くことに、奈良時代以前のハ行は全て「p」だったとか。(これを示す決定的な歴史的資料は存在しないそうですが。)例えば今では「一本 (イッポン)、二本 (ニホン), 三本(サンボン), 四本(ヨンホン)・・」と言っているこの「本」も元は全て「ポン」と呼ばれていました。その後、「p」の発音が [ p ] —> [ ɸ ]—-> [ h ]と唇音退化シンオンタイカしたのだそう。唇音退化とは、唇のあわせが徐々に緩む方向へと変化する音韻変化です。確かに「ポン」より「ほん」のほうがのんびりした印象は受けますね。

(参考)日本語では,「一本/二本/三本」を「イッポン/ニホン/サンボン」と発音するのは何故ですか?

でもそれって本当?「ちはやぶる」は「チヤブル」だった?(なんか印象変わってくるー!)母上(ははうえ)はパパウエになっちゃう!(性別までかわっちゃう!)と不思議になりますが、[p]であることは証明できなくても、どうやらその昔、日本人がハ行を今の「フ」で使われている両唇を使って出す子音、[ɸ ] で発音していたことは、16世紀のキリシタン文書が教えてくれます。日本にやってきたイエズス会の宣教師たちは、キリスト教の布教のために日本語を習得し、ヨーロッパの印刷機を持ち込んでポルトガル語式のローマ字で日本語を表記しました。(日本では織田信長や豊臣秀吉が活躍していた室町時代です。)宣教師たちは図書をローマ字で書いて説法時に使ったりしていたのですが、後年、この資料によって当時の日本人がどうやって発音していたのかがわかるようになりました。

例えば、天草版『平家物語』は,16世紀の日本を訪れたキリスト教宣教師の,日本語学習向けに編集された読本(リーダー)でした。

NIFON NO COTOBA TO Hiſtoria uo narai xiran to FOSSVRV FITO NO TAMENI XEVA NI YAVA RAGETARV FEIQE NO MONOGATARI.
(日本のことばとHistoriaを習い知らんと欲する人の為に世話に和らげたる平家の物語。)

「日本」はNIFON, 「欲する」はFOSSVRV, 人はFITO, 平家はFEIQE、とハヒフヘホはFで書かれています。(ウはV、ワもV, シはXで書いたんですね。ということはウとワも同じだったのかな・・・)。FはFでも、英語のような上の前歯で下唇を少し噛んで出す音ではなかったようです。今のフの発音、[ɸ ] です。カタカナで書いたら「ニフォン(日本)」「フォッスル(欲する)」「フィト(人)」「フェイケ(平家)」になるかと思います。平家物語も「フェイケモノガタリ」と言われると別の話かと思いそうです。

もう一つの例は同じく16世紀にキリシタンたちが残した『伊曽保物語』(いそほものがたり)、『イソップ物語』を室町末期の話しことばに訳したものです。

ESOPONO FABVLAS(イソポのファブラス)

Latinuo vaxite Nippon no cuchito nasu mono nari.
(ラチン ヲ ワシテ ニッポン ノ クチ ト ナス モノ ナリ: ラテンを和して日本の口となすものなり。)

IEVS NO COMPANHIA NO
Collegio Amacuſani voite Superiores no gomen
qiotoxite coreuo fanni qizamu mono nari.
Goxuxxe yori M.D.L.ⅩⅩⅩⅩⅢ.

IEVSのCOMPANHIAの- Collegio
天草に於いてSuperioresの御免許としてこれを版に刻む物なり.
御出世よりM.D.L.XXXXⅢ.

ここでも「版」は「fan」と書かれています。 当時は「ファン」と発音していたことが想像できます。

日本語参照:国立国語研究所:日本語史研究用テキストデータ集

ところで、上の表紙を見て、「平家物語」では「NIFON」『伊曽保物語』では「NIPPON」と書かれていることにもお気づきでしょうか。今でも「日本」の正式な読み方は「ニッポン」でも「二ホン」でもいいそうですが、このころからどっちでも良かったんでしょうか。はたまた[ p ]→[ f ]→[ h ] という唇音退化の途中だったのか・・・。気になりますね。(鍋田)

参考サイト :
国立国語研究所 大英図書館が所蔵する天草版『平家物語』『伊曽保物語』『金句集』(Shelfmark: Or.59.aa.1) 

国立国語研究所:ヨーロッパに渡ったキリシタン資料が解き明かす中世日本語―天草版『平家物語』『伊曽保物語』『金句集』画像Web公開 

国立国語研究所:日本語史研究用テキストデータ集
Rômazi Aiueo(ローマ字 あいうえお):ポルトガル式 ローマ字に ついて

「英語びより」:発音についてわかりやすく、しかし専門的に説明してくれるサイト(唇音退化についても説明があります)

楽学日本語教室:サ行・ハ行以外の発音やアクセントなど発音一般について詳しく書かれています。


<めざせ語学マスター>日本語教育に関するブログはこちら

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<めじろ奇譚>ピエ・ノワールとフランス語の辞書

2021年7月29日

弊社にて力を入れている言語のひとつがフランス語で、フランス語圏アフリカの国際協力案件の翻訳や通訳派遣等のご依頼を多く頂戴しております。今回、「フランス語とアフリカ」についてのご紹介として受け取ったバトンのテーマは「ピエ・ノワール」です。

「ピエ・ノワール(pied-noir)」とは、直訳すると「黒い足」で、特に人の出自の言及に用いられる言葉とされています。広義ではフランス領北アフリカからの引揚者を指し、主にアルジェリア出身のフランス人を意味しているようですが、厳密な対象に関しては多くの議論が行われているそうです。

この言葉の起源は諸説あり、アルジェリアに上陸したフランス軍の靴が黒かったという説が由来として広く理解されているそうです。しかし、先住民はフランス軍や入植者を示す独自の言葉を持ち、フランス語の言葉をあえて使う必要がない点から、この説を否定する研究者もいるため、起源は定かではないようです。他にも、ワイン醸造の葡萄を踏む過程で黒く染まった足の象徴だとする説や、アメリカのネイティブアメリカン「ブラックフィート」の名をとり若者が自ら使用したという説もあるそうです。

ピエ・ノワールの著名人といえば、コロナ禍で注目を浴びた小説「ペスト」の作者アルベール・カミュ(Albert Camus)や、世界的デザイナーのイヴ・サン=ローラン(Yves Saint-Laurent)は日本でも有名です。

翻訳と関連し、特に注目したのがポール・ロベール(Paul Robert)という人物です。フランス語の二大辞書といえば、ラルース(Larousse)とロベール(Robert)ですが、後者を編み出したのがまさにこの辞書学者なのです。
ポール・ロベールは1910年にアルジェリアのオルレアンヴィルで生まれ、高校と大学の学部時代をアルジェで過ごし、1934年からパリで法学を修めます。戦争の勃発により兵士として動員された経験もあります。1945年に博士号を取得しますが、博士論文執筆時に納得のいくフランス語の辞書がないことから、新しい辞書の制作を志します。1952年出版の最初の分冊がアカデミー・フランセーズから表彰を受け、その後は1964年に大辞典『グラン・ロベール』、1967年には小辞典『プチ・ロベール』が完成、フランス語辞書として台頭し現在に至ります。

私どもが日々参照する辞書にもピエ・ノワールが関連しているというご紹介でした。
フランス語の翻訳や通訳等に関してもぜひお気軽にお問い合わせください。
(フランス語担当)

【参考文献】
・大嶋えり子, 世界引揚者列伝Vol.1 ピエ・ノワール列伝 人物で知るフランス領北アフリカの引揚者たちの歴史, 合同会社パブリブ, 2018.
・足立綾, ラパトリエとピエ・ノワール ―<アルジェリアのフランス人>の仏本国への「帰還」―, 『文化人類学』80/4 2016, p.569-591.
(online), https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjcanth/80/4/80_569/_pdf/-char/ja, (参照2021-06-30)
・Wikipedia, https://fr.wikipedia.org/wiki/Pieds-noirs#D%C3%A9finitions_de_%C2%AB_pied-noir_%C2%BB, (閲覧日2021-06-30),
・Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB, (閲覧日2021-06-30),

<めざせ語学マスター>日本語は膠着している

2021年7月27日

中国語、チベット語、ビルマ語は孤立していて、日本語、モンゴル語、トルコ語は膠着している。ドイツ語、フランス語、イタリア語は屈折しているが、アイヌ語、アメリカンインディアン諸語は抱合している・・・。

どういう意味!?

というわけで、今回はこの類型についてのお話。
一般に膠着語とは、語の文法的な機能が語に付加される、独立性のない形式で表される言語です。膠着語は英語でagglutinative languages、日本語と同じく「くっつく言語」です。

例えば、

花が咲く。
花が咲いた。
花が咲いている。
花が咲いていた。
花が咲きそうだ。
花が咲くかもしれない。
花が咲いていたかもしれない。

など、動詞は「咲く」なのに、その活用のあとに「た」「ている」「ていた」「そうだ」「かもしれない」など、接尾語がどんどんくっついていきます。これが特徴です。膠着語は接尾語だけでなく、「お弁当」の「お」や「無感覚」の「無」のように頭につく場合もあります。

上の例を今度は中国語にしてみます。

花が咲く。
花が咲いた。
花が咲いている。
花が咲いていた。
花开。/开花。

(文脈次第で、
「花が咲く。」にも、
「花が咲いた。」にも、
「花が咲いている。」にも、
「花が咲いていた。」にも解釈可能。)

花が咲きそうだ。 花快要开了。
花が咲くかもしれない。 花可能会开。
花が咲いていたかもしれない。 花可能已经开了。

最初の4文は同じ表現で表すことができます。
また、「かもしれない」などは「可能」などが入っているのが分かります。日本語のように動詞にどんどん他の語がくっついているわけではないようです。
中国語のように語が形態変化せず、名詞や動詞のような主要な品詞の文法的機能は、語順によるか、特別の語を用いて表される言語を「孤立語」(Isolating language)といいます。

次はどうでしょう。
(英語)

花が咲く。 The flowers bloom. /  The flower blooms.
The flowers will bloom. /  The flower will bloom.
花が咲いた。 The flowers bloomed./ The flower bloomed.
花が咲いている。 The flowers are blooming./ The flower is blooming.
The flowers are in bloom./ The flower is in bloom.
花が咲いていた。 The flowers were blooming. / The flower was blooming.
The flowers were in bloom. / The flower was in bloom.
花が咲きそうだ。 The flowers are about to bloom. /The flower is about to bloom.
花が咲くかもしれない。 The flowers may bloom. / The flower may bloom.
花が咲いていたかもしれない。 The flowers may have bloomed./The flower may have bloomed.

(フランス語)

花が咲く。 Les fleurs fleurissent. / La fleur fleurit.
Les fleurs fleuriront. / La fleur fleurira.
花が咲いた。 Les fleurs ont fleuri. / La fleur a fleuri.
花が咲いている。 Les fleurs sont en train de fleurir. / La fleur est en train de fleurir.
Les fleurs sont en fleurs. / La fleur est en fleur.
花が咲いていた。 Les fleurs étaient en fleurs. / La fleur était en fleur.
花が咲きそうだ。 Les fleurs sont sur le point de fleurir. / La fleur est sur le point de fleurir.
花が咲くかもしれない。 Les fleurs peuvent fleurir. / La fleur peut fleurir.
花が咲いていたかもしれない。 Les fleurs peuvent avoir fleuri. / La fleur peut avoir fleuri.

日本語では複数か単数かは表現していなくても、英語やフランス語にする場合はそれを決める必要があります。上の表ではthe やla, les などの定冠詞で表していますが、さらに a やune, des のような不定冠詞となる場合もあります。さらに日本語の動詞は基本的に原則動作動詞で、辞書系「咲く」が未来を表します。一般的に「(春には)花が咲く」のような場合は現在形、「(今から)花が咲く」は未来を表します。

上の文章を見れば明らかなように、英語やフランス語になると、「かもしれない」をmay のように助動詞を付けることがありますが、基本的には動詞(bloomやbe動詞)を未来形や過去形などに変化させて細かいニュアンスを表します。これが屈折語(inflected languages)です。

孤立語 isolating languages 中国語、ベトナム語、ラオス語、タイ語、クメール語、サモア語、チベット語、ビルマ語など
膠着語 agglutinative languages 日本語、朝鮮(韓国)語、モンゴル語、トルコ語、ハンガリー語、ツングース諸語、フィンランド語、タミル語、ウイグル語、ウズベク語など
屈折語 inflected languages 英語(*)、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、ラテン語、アラビア語など
抱合語 polysynthetic languages アイヌ語、アメリカンインディアン諸語

(*)英語は名詞や動詞があまり活用しないので孤立語的な特徴を持っているとも言われています。

この孤立語、膠着語、屈折語という類型の起源は、ドイツのカール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(Friedrich Wilhelm Christian Karl Ferdinand Freiherr von Humboldt、1767 – 1835年)にさかのぼります。

彼はドイツ(当時はプロイセン)の貴族、外交官であり教育制度改革者です。弟は探検家、地理学者のフリードリヒ・ハインリヒ・アレクサンダー・フォン・フンボルト。弟は虫や植物が好きで南北アメリカへの大冒険もした人ですが、兄のほうは、書斎にこもって勉強するタイプだったようです。貴族・外交官というポジションを生かし、世界中に散らばった宣教師や商人、外交官、植民地行政官、探検家、学者仲間(弟を含む)というネットワークを得て、様々な言語の資料を取り寄せては、その形態と文化の違いを解明しようとしました。そう、19世紀の初頭といえば、ヨーロッパは植民地開拓の時期、日本はまだ鎖国している江戸時代。今年NHKの大河でやっている渋沢栄一は1840年生まれで、まだ生まれてもいません。

植民地時代の言語研究の目的はやはり植民地を作るためであり、非ヨーロッパ人を改宗させるためでした。フンボルトを含めて、当時の学者たちは、名詞や動詞の内部で音を変化させて単数か複数か、主語か目的語か、男性名詞か女性名詞か、過去か現在かを示す屈折語は最も複雑に入り組んだ概念を組み立てることができる優位な言語であると考えていました。

彼はスペイン北部のバスク地方へ旅をしたときに、古典の伝統や書き言葉による文学がなく、インド・ヨーロッパ語族とは関係のない、「未開の」言語、バスク語に出会って「あこがれ」を抱きます。そのあこがれはアメリカ先住民の言語に向き、バチカンでプロシア大使をしていたときにイエズス会が持ち帰ったアメリカ先住民の資料を研究し始めました。そこでこの言語が「単語の内部の音を変化させて微妙な文法的差異を示すのではなく、複数の単語や単語の断片をくっつけて別の単語が形成される」、つまり「膠着語」であると分類したのです。しかし、膠着語は屈折語によって可能な「頭の回転の速さや思考の厳密さ」が阻害された言語、つまり屈折語より劣る言語だと考えました。

さらに彼は中国語において孤立語に遭遇します。中国語は単語の音の変化で文法的な関係を示したり(屈折語)、単語同士をくっつけて複雑な意味を作ったり(膠着語)せず、一つの概念を一つの変更できない単語の中に閉じ込めて、語の順序だけでそれぞれの概念が互いにどう関連しているのかを示す、世界でもっとも原始的な言語の一つにみなされるべき、としました。

しかしその後、当時ヨーロッパ随一の中国学者ジャン=ピエール・アベル・レミュザと手紙のやりとりを通じて自分の説を修正し、中国語は非常に洗練された言葉として賞賛するようになりました。ひとつひとつの単語が侵すことのできない概念を示しており、屈折語では豊富な音標識が精神の負荷を軽減するのに対して、そのような標識がない中国語では、個々の単語が合わさって全体としてどのような意味の複雑な思考を表しているのかを常に考えなければなりません。中国語で考えるのは屈折語で考えるよりも明敏さや厳密さに欠けるかもしれないが、より抽象的で深淵で複合的な解釈に適している、つまり中国語は純粋な思考の言語なのだ、という結論に達します。

(中国語=どこか仙人的なイメージ・・・だったんでしょうか?)

さらにフンボルト氏は考えます。
「中国語に屈折がないのは、使える音のレパートリーが限られていたせいで、この音声面の貧困は、中国の住民が歴史的に単一で安定していた結果だ。何世紀にもわたって中国は住民の移動や異なる言葉の混じりあいなど、音のレパートリーを豊富にする出来事を免れてきたんだ。」
通常彼は文化の交配をよしとしていましたが、ここでは中国語が自らの孤立を長所に変えたと認めました。いっぽうで、中国語自体が中国文化の歴史的な統一と安定に貢献してきたとも考えました。

このように屈折語、膠着語、孤立語と言語を分類した彼はこの考えを確固なものにしようと、テストケースを求め、マラガシ語、マレー語、ジャワ語、ブギス語、トンガ語、タガログ語、マオリ語、タヒチ語、ハワイ語などのマレー・ポリネシア諸語の研究を進めます。そしてカヴィ語という中世のジャワ島の言語の研究(「カヴィ語研究」)を未完のまま亡くなってしまいます。

今でも使われているこの言語の類型は、古典的類型論と言われています。今ではフンボルトのように(彼だけが特別なのではなく、彼の時代では一般的だった)孤立語→膠着語→屈折語の順で洗練されている、などの考え方はされなくなりました。

古典的分類以外に現在では、主語(S)と動詞(V)、目的語(O)の配置から「SOV」「SVO」「VSO」に分ける分類や、音韻対応が認められる言語から「インド・ヨーロッパ語族」「シナ・チベット語族」「アフロ・アジア語族」「オーストロネシア語族」「ニジェール・コンゴ語族」などに分ける方法もあります。

でも、古典的分類は文法的特徴として今でも使われており、「英語には孤立語的な特徴もある」など、言語の特徴を表します。

個人的には、200年以上も前のインターネットがない時代に、フンボルトを始め当時の学者たちが実に多くの資料を集めたという事実に驚きます。フンボルトは日本語についてもメキシコから輸入した日本語の入門書をかじっていたそうです。その本は鎖国政策によって日本から追い出されメキシコに渡ったイエズス会宣教師の手になるものだったとか。言語の把握が植民地拡大につながっていたことや、その分類に多少差別的な考え方が混じっていたとしても、彼らの言語に対する飽くなき探究心には脱帽します。(鍋田)

参考文献:<翻訳>ヴィルヘルム・フォン・フンボルトと言語の世界 イアン・F・マクニーリー講演、石田文子訳
言語の基礎 NAFL日本語教師養成プログラム


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<めじろ奇譚>アルゼンチンとイタリアの関係

2021年7月22日

私はアルゼンチンで生まれ育ち、18歳で来日しました。
アルゼンチンと言えば、サッカーやタンゴを思い浮かべる方が多いと思うのですが、今回はそれら以外であまり日本人には馴染みのないアルゼンチンについて紹介したいと思います。

現在、アルゼンチンの人口は約4000万人、その内の6割以上がイタリア系の先祖を持っていると言われています。アルゼンチンにはイタリア系の人が多いのはなぜなのでしょうか?

アルゼンチンは14世紀から19世紀の初めまでスペインの植民地でした。1816年7月にアルゼンチンはスペインから独立し、人口を増やし国の技術を発展させるという目的で世界の様々な国の人を受け入れるようになりました。ヨーロッパの国々に広い土地を安く提供する代わりに、アルゼンチンで農業を行ってもらうという方法で移民を誘っていたそうです。独立後から20世紀中頃にかけて、内戦から逃れるため約300万人のイタリア人が移住し、その数は当時アルゼンチンに住んでいたスペイン人よりも約100万人多いものでした。

ちなみに、かの有名なアニメ「母をたずねて三千里」は、1882年のブエノス・アイレス(アルゼンチンの首都)に出稼ぎに行ったまま、音信不通になっている母アンナ・ロッシを尋ねるべく、主人公のマルコ・ロッシがイタリア・ジェノヴァからアルゼンチンへと渡る姿を描くストーリーです。

イタリア語とスペイン語は非常に似ているためお互いに母国語で話していても話は大体通じます。これは私の予想なのですが、人口の大半がスペイン語を話しているためイタリア語話者がスペイン語に寄り添う形になっていったのではないかと思います。そのため、イタリア人の方が多かったにも関わらず、公用語は既に定着していたスペイン語が保たれたのではないでしょうか。

しかし、イタリア人がアルゼンチン社会に適応し、アルゼンチン文化に染まったというわけではありません。アルゼンチン人はイタリア人から多くのものを受け継いでいます。発音から食文化、また、話す際にイタリア人が良く使うハンドジェスチャーもアルゼンチン人はよく使います。

アルゼンチンのスペイン語はそういったミックス故に他のスペイン語圏のスペイン語とは明らかに違う感じになっているため、アルゼンチン人だとすぐにわかります。イタリア語風の発音のスペイン語に話されています。一つの例としては、スペイン語では「LL」の発音は「リャ・リュ・リョ」/「ジャ・ジュ・ジョ」に近い音(地域により異なります)なのですが、アルゼンチンでは「シャ・シュ・ショ」と発音します。この発音方法をシェイスモと呼ぶのですが、イタリア語から来ている概念と言われています。

例:自己紹介でよく使われる表現
Me llamo 〇〇. (私は〇〇と言います。)
という表現があり、日本でスペイン語を学ぶ方は「メ ジャモ 〇〇」と学ぶことが多いみたいですが、アルゼンチンでは「メ シャモ〇〇」という発音になるのです。

アルゼンチンの食文化に関して調べると、長時間炭で牛肉を焼く「アサード」が良く出てきますが、実はイタリアの食文化にもとても影響されており、ピザ、パスタ、パンなども非常に食べられます。イタリア料理でよく使われる香辛料を用いて生み出された、アルゼンチンの郷土料理「ミラネーサ」などもあります。ミラネーサは直訳すると「ミラノ風」という意味を持ち、簡単に説明するとオレガノ、パセリ、ニンニクを加えた卵に薄い牛肉を浸して数時間寝かせた後、パン粉を付けて揚げる料理です。アルゼンチン人は皆この料理が大好きで、あの有名なサッカー選手「メッシ」も、あるインタビューで好物は何かと聞かれた際に「ミラネーサ」と答えています。

       

ピザに関しては有名なピザ屋が多く存在し、観光客用に有名ピザ屋のツアーなどもあるほどです。また、日本では毎月29日は「肉の日」で、スーパーや精肉店でお肉が安く手に入る日ですが、アルゼンチンではニョッキの日であり、この日はパスタ屋(パスタの麺などを売る店)でニョッキが安く提供されるため、家族でニョッキを食べることが伝統です※。

※昔は裕福ではない人たちが月末になってお金が足りないことから一番安く手に入るジャガイモで「ニョッキ」を作る習慣があり、29日をニョッキの日にしていた、という説があります。

このようにアルゼンチンはイタリアから多く影響を受け、自分達の文化の一部としています。

こちらの内容が面白いと思ったらグッドボタンと登録ボタンをお願い致します!
あ!間違ってしまいました!こちらはYOUTUBE用のセリフですね。

アルゼンチンのみならず他の国や言語に関するコンテンツもありますので、ご興味がありましたら是非YOUTUBEチャンネルもご覧ください!

https://www.youtube.com/channel/UCGE8jlpXB4WjU0GUruRnwHw

(山本亜聖)

<めざせ語学マスター> ネイティブ社員にアンケート!

2021年7月20日

日本語教育能力試験の応募が始まりましたね。8月2日が締め切りです。急がないと!

さて私はロシア、オーストラリア、カナダ、フランス、スウェーデンなど外国出身の社員と毎日働いていますが、彼らは日本語がとても上手く、社内では会議も応対も全て日本語ですんでしまいます。どうやってそんなにうまくなったの? 意外と日本語は難しいんじゃないの? と不思議に思い、アンケートを取ってみました。今回はその結果をお知らせします。

私からの質問は以下の3点。

①イ形容詞、ナ形容詞、どうやって皆さん勉強して、覚えましたか?
②日本語の動詞の活用の覚え方にコツはありましたか?(歌って覚えたとか?)
③日本語の勉強で難しいなと思ったポイントがあれば教えてください。

回答は下のようなものでした。

 

①イ形容詞、ナ形容詞、どうやって皆さん勉強して、覚えましたか?
論理的に勉強せず、感覚で何となく覚えました。

②日本語の動詞の活用の覚え方にコツはありましたか?(歌って覚えたとか?)
いくつかの典型的な動詞(行く、する、やる、食べる、飲むなど)の活用を暗記して、
新しく出会った動詞に対して暗記しておいたパータンを当てはめていました。

③日本語の勉強で難しいなと思ったポイントがあれば教えてください。
第一人称や第二人称はあまり使わないため、
英語など欧州言語とかなり異なる言い方を覚える必要があります。

ロシア出身 M氏

 

 

1.イ形容詞、ナ形容詞、どうやって皆さん勉強して、覚えましたか?
イ形容詞の名前の通り最後の文字は「い」ですので、それでなんとなくわかっています。例外(「きれい」とか)はどちらかといえば暗記かな?あとは普通に慣れていますね。

2.日本語の動詞の活用の覚え方にコツはありましたか?(歌って覚えたとか?)
普通に暗記しています。

3.日本語の勉強で難しいなと思ったポイントがあれば教えてください。
たまに主語が書いていないというところがややこしいと思います。あとは、漢字の制度は昔からありますので、暗記するのがかなり大変だと思います。

 

フランス出身 D氏

 

① イ形容詞、ナ形容詞、どうやって皆さん勉強して、覚えましたか?

特に特別な覚え方はないと思います。

② 日本語の動詞の活用の覚え方にコツはありましたか?(歌って覚えたとか?)

そうですね。まだ覚えている大学で習った歌等もありますね。例えば、「て」について等です。
ある歌の歌詞といえば、
い、ち、り becomes つ て
に、び、み becomes ん で
し→して 、 き→いて
来て、見て、行って、て、て、て(例外なので)

③ 日本語の勉強で難しいなと思ったポイントがあれば教えてください。

やはり漢字の読み方を覚えることですね。全く同じ漢字なのに違う読み方とか、読み方が言葉によって変わる言語を覚えることはとても難しいです。ルールとかがなくて、覚えるしかないから難しいですね。

オーストラリア出身 B氏

*彼はオーストラリアで小学校から日本語を勉強していたそうです。こんな「て形」を勉強するYOUTUBEも教えてくれました。

てけいのうた 2019( te-form song て形の歌 tekei no uta )

【初音ミク】て形 た形の歌 / 【Hatsune Miku】Nihongo Te-form Ta-form song

 

 

① イ形容詞、ナ形容詞、どうやって皆さん勉強して、覚えましたか?

おそらくルールを覚えてから練習をたくさんしました。
毎週、新しい形容詞リストをもらい、暗記してから授業中に例文を書いたり、声に出しながら覚えたりしていました。

② 日本語の動詞の活用の覚え方にコツはありましたか?(歌って覚えたとか?)

動詞を覚える方法については、先生は絵が描いている看板を持ち、学生皆たちが何動詞を表すか声に出しながら覚えていました。
動詞の活用は、歌って覚えましたね。
「歌」というよりは、
食べる~ 食べます~ 食べました~ 食べましょう~のような
暗唱?みたいな感じで練習していましたね。
ユーチューブで調べてみたら下記のかわいい歌が出ましたので共有いたします。

 Japanese Verb Conjugation Sing along/動詞の活用を歌で覚えよう! – YouTube

③ 日本語の勉強で難しいなと思ったポイントがあれば教えてください。

言語学的な話ですが、勉強し始めたばかりは大変だったのが日本語の語順ですね。
フランス語・英語と違って、日本語はSOV型なので、まるで頭の中で“考える順番を変える”操作が難しかったです。
他に、~たくなかった の活用(食べたくなかったとか、高くなかった、暖かくなかったとか)が特に難しいなと記憶があります。
噛んでしまいますので大変でした。
また、あげる・くれる・もらうのコンセプトも不思議で、把握するまでに時間がかかりました。
最後にCasualとPolite Fromの区別も難しくて、さらに敬語を組み合わせると(今でも)苦労していました。(今でも・・)

カナダ出身 M女史

 

It has been 16 years since I first started studying Japanese so I’m afraid I don’t quite remember what kind of study methods we used, but I have tried to answer your questions below:

1) How did you learn and memorize イ-adjectives and ナ-adjectives?

I think we first learned that i-adjectives always end with an ‘i’, and then we just had to memorize any na-adjectives that also end with ‘i’ as a set like “kirei na”, “kirai na”, “yuumei na”, etc.

(2) Do you have any tips on how to remember the conjugation of Japanese verbs? (Did you learn them by singing?)

I don’t remember doing any special exercises for learning conjugation. In the beginning I think we mostly followed the Genki 1 and 2 text books, reading and listening to sample sentences with conjugated verbs.

(3) Please tell me if there are any points that you found difficult in studying Japanese.

I’m not sure if it was the most difficult part, but what took me the longest was probably to build the confidence to speak Japanese. Studying kanji also took a long time.

(日本語)

日本語を勉強し始めてから16年経つので、どんな勉強法をしていたのかよく覚えていないのですが、以下の質問に答えてみました。

①イ形容詞、ナ形容詞、どうやって皆さん勉強して、覚えましたか?

i形容詞は常に「i」で終わるということを最初に学び、「きれいな」、「きらいな」、「ゆうめいな」など、「i」で終わる「な」形容詞をセットで覚えていたと思います。

②日本語の動詞の活用の覚え方にコツはありましたか?(歌って覚えたとか?)

2) 活用を学ぶために特別な練習をした記憶はありません。最初の頃は、「元気1」「元気2」の教科書に沿って、活用した動詞の例文を読んだり聞いたりすることが多かったように思います。

③日本語の勉強で難しいなと思ったポイントがあれば教えてください。

一番難しかったかどうかはわかりませんが、一番時間がかかったのは、日本語を話す自信をつけることだったかもしれません。漢字の勉強も時間がかかりました。

 

スウェーデン出身 S氏

 

今では日本語で見積書を作ったり、営業したりとなんでもこなす弊社のネイティブスタッフたちも、日本語を習いたてのころは苦労したこともあったんですね。
もし皆さんも彼らに聞いてみたいことがあれば連絡くださいね。お待ちしています。

鍋田


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文を分ける 文節&語&形態素
やさしい日本語
来日外国人の激減について
学校文法と日本語教育文法
日本語教育能力検定試験に落ちました

<めじろ奇譚>フランス語と英語の違い

2021年7月15日

こんにちは。英語チームのNです。
今回は英語とフランス語を比べてみて、思うことを書いてみたいと思います。

まず私の個人的な学習歴ですが、英語は中学の3年間と、大学の2年間(第二外国語として週2時間)しか学校では学んでおらず、あとは社会人になってからの独学です。
対するフランス語は、高校で第一外国語として3年間、大学では主専攻として4年間、また大学在学中と社会人になってから2回(計1年半)、フランスに留学して学びました。

こうして見ると圧倒的にフランス語の勉強にかけた時間の方が多いのですが、その割に、自分の英語力とフランス語力の差は小さいような気がします。
かけた時間の割合が10対5なら、語学力の差は10対7くらい。
英語よりフランス語の方が難しい、とよく言われますが、体感としてはあながち嘘ではないような…。

なんでフランス語の方が難しいのだろう、と考えてみると色々浮かんできます。
まず浮かぶのは、名詞に女性形と男性形があること。それによって、冠詞や形容詞の表記が変わってきます。
次に動詞の活用。英語では三人称単数の場合のみ、「s」や「es」「-ies」をつけますが、フランス語の場合は一人称単数、二人称単数、三人称単数、一人称複数、二人称複数、三人称複数でそれぞれ活用があります。
おそらくこの「姓の違い」と「活用の多さ」が、学習初心者にとっては最初の難関になるのではないかと思います。私も学び始めた頃は、動詞の活用を念仏のようにぶつぶつ唱えたものです。
また注意が必要なのが、フランス語では末尾の子音を発音しないことが多く、そのため活用/姓数が違っても発音が同じになることです。書き取りの問題では活用/姓数を正しく一致させないと減点となります。聞こえた通りに書いただけではダメで、文章を理解して書かないといけません。
あと個人的に思うのは、英語の単語は日本でもカタカナ語で使われていて、馴染みのあるものもたくさんあるということです。(「和製英語」と呼ばれて日本でしか通じない単語もあるので、注意が必要ですが。)そのため、英語の単語の方がスッと出てきやすいように感じます。
発音についてはどうでしょうか。フランス語を学んでいる、と人に言うと「発音難しいよね」とよく言われます。たしかに、日本人には発音が難しいアルファベットはあります。私はいまだに「ou」の発音がうまくできず、留学中も「cours(授業)」と言いたいのに「coeur(心臓)」としか言えず、苦労した覚えがあります。ただ、英語よりフランス語の方が、規則が決まっていて、それさえわかっていれば、初見の文章・単語でも正しく発音することができます。

このように色々と違いはありますが、日本語に比べれば、英語とフランス語は文法的にも単語的にも近いと思います。言語の系統としては、フランス語はロマンス語、英語はゲルマン語で、同じインド・ヨーロッパ語族のなかでも近くは無いですが、歴史的に二国間での交流が多かったことから、類似の単語を多く使うようになったようです。

不思議な話ですが、フランスに留学していた頃、英語の勉強をしていないのにTOEICで点数がアップしたことがありました。日本人がフランス語を勉強すると、自然と英語の聞き取り力もアップして、わかる単語も増えるようです。(ただし、フランス語と英語で綴りが同じだけど意味が違う「faux amis(偽の友達)」の単語があるので要注意。)

それぞれの言語を学ぶ利点は何でしょうか。英語は世界中の人が話すので、英語を学べば世界中の国の人とコミュニケーションを取れるのが一番の利点だと思っています。対するフランス語は、フランスやフランス語圏の国々(仏語圏アフリカなど)など、特定の地域の文化・考え方を深く知ることができる点が良いと思います。個人的には、フランス語の語感が好きなので、ネイティブが話すフランス語を聞くのは心地良いです。

どちらの言語も、学ぶことで世界を広げてくれるし、様々な人と出会えます。
みなさんは、どんな言語を学んでいて、どんな良いことがありましたか?
体験談があればぜひお聞かせください。
(英語チーム:N)

<ある通訳の日誌>詩の世界 詩のこころ3

2021年7月14日

詩の世界 詩のこころ
橋爪 雅彦
1
フィッツジェラルド
森(もり) 亮(りょう)訳
オーマー・カイヤム「ルバイヤート」四行詩

第一回
第二回

―第三回ー

3.自分なりの世界 自分なりの幸せを
ルバイヤート第十歌(森 亮訳)

畑地よりあら野をさして
いざ来ませ、 草生くさふづたいに
このわたりスルタンも奴僕ぬぼくも今や名はなくて
かのマームード、玉座ゆゆしききみかなし

畑地と砂漠との隔てる境に 草草が細長く伸び、
その一筋の草草を踏んで 私と一緒に来てみなさい。
このあたりでは、スルタンも奴隷も名もないただの人、
玉座に座ったマームードさえ、哀れなものです。

都を遠く離れた砂漠と農地の間の境界では、きっと王侯の名も、一介の奴隷も等しく無名でのままであり、王侯貴族の生活に憧れることなく、自分は自分なりの世界で充分満ちたりていることを表明してもいます。玉座に居座った王侯など、哀れなものだと喝破している風にさえ見受けられます。

―Edward Fitzgerald  ―X―
(フィッツジェラルド第十歌)

With me along some Strip of Herbage strown
That just divides the desert from the sown,
Where name of Slave and Sultan scarce is known,
And pity Sultan Mahmud on his Throne.

こう思ってくると、やはり自分なりの世界に生き、それを歌った有名な詩を思い出します。中国の古典で有名な「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)の歌」です。

日 出 而 作       日出(いで)て作り
日 入 而 息       日入りて息う
鑿 井 而 飲       井を鑿(うが)ちて飲み
耕 田 而 食       田を耕して食らう
帝 力 于 我 何 有 哉   帝力 我において何か有らん哉(や)

お日様が出れば仕事を始め、お日様が沈めば休む。井戸を掘削して水を飲み、田畑を耕して食する。こういう生活に、帝王の力など必要ないし関係ない。

この歌を聞いた当時の王様は、ああ、自分の政治が良く隅々まで行きわたっているな、と実感したそうです。いかなる土地であろうと、王であれば、税をかけて民からお金を徴収することもできるし、働き手の若者を兵として徴収することもできるし、耕している田畑が、王侯貴族の狩猟の場に提供されることもあるといった次第で、上記のように民が歌うことができるのは、自らの統治に、民が満足しているからだ、と自らも大いに満足したとのことです。

普通なら、王様なんて関係ないよ、と歌う民に対して、王は何らかの形で、そう歌う民に自分の権力を見せつけ、懲らしめることがしばしばありますが、さすが古代の中国の王は違います。
そして「古詩源」に遡るといわれるこの歌を、後生大事に愛誦し続けてきた民衆の力と、それを歴史の中に記述し続けてきた歴史家たちのエネルギーこそ、敬意を払わねばならないところです。

一方、歌う側としては、王や権力に関係なく、自らの生活は自らの意志と努力で続けてゆく、
このスタンスを崩しません。ここに自らの幸福の源泉があるからです。

■ 芥川龍之介と下町
さて、今回もまた芥川龍之介を引用して恐縮ですが、私の好きな歌に「汝(な)と住むべくは」があります。

汝(な)と住むべくは下町の
水(み)どろは青き溝づたひ
汝(な)が洗湯(せんとう)の行来(ゆきき)には
昼もなきつる蚊を聞かむ

あなたと一緒になって、住みたいところは、下町の
青いドブ水のある溝づたいの家
あなたが銭湯に行き来するときは、
昼間でも蚊の鳴き声を聞いていましょう。

かつて下町にはどこにもあったドブ川。青く濁り多少の臭みもある水が、流れるような流れないような淀みの中で、それに沿って長屋が続き、その長屋の一軒をあなたと一緒に暮らす住処として、あなたが銭湯へ行き来する昼間には、蚊の鳴き声を聞いていましょうという芥川の愛する人への問いかけの歌です。

いうまでもなく、芥川は東京の出身です。生まれは京橋であったが、母が発狂したため、母の実家である両国の芥川家に預けられ,後、芥川家の養子となった人です。明治の時代、生まれの京橋も下町でしたが、育った両国も下町でした。

自分の育った界隈には、特別な愛着を持ちます。
ドブ川の青く腐った水の流れも、また時にはその上にドブ板といった木製の板をかけてドブを見せないような工夫もしていました。お金持ちの屋敷等はもちろんありません。連綿と続く長屋には、庶民の哀歓がもろに現出され、生き生きとした世界そのものでした。
隣の家の夫婦喧嘩も、子供を叱る親たちの声も、また若い夫婦の夜の営みも、もろに聞こえてくる、いわばプライベートと呼べる世界とは遠く離れた世界でした。
もちろん家には風呂はなく、みな誰しも銭湯へ通いました。銭湯は、長屋の住人たちの社交場でもあり、息子が大工で一人前になったことや、娘がどこそこへ嫁に行ったことや、どこどこの田舎から若い娘がこの町に嫁に来たとか、ありとあらゆる庶民の世間話が、銭湯では大はやりでした。

芥川という大文芸家の腕にかかると、下町を流れるドブ川も、銭湯も、昼の蚊も、なにかしら高貴さが漂ってきます。

下町とはいえ、芥川の育った家は、江戸時代から徳川幕府に使える家柄で、江戸の文人墨客の趣味に満ちた家でした。江戸の文化教養を身に着けた家の人たちから、芥川はその才能を育てられたといってもいいでしょう。
江戸の文人趣味と下町の風情。これがミックスしたところに、この歌は生まれたと言えるでしょう。

僕もまた、学生時代、この歌を愛誦しつつ、この歌をまねて、意中の人に「あなたと住むべくは…」を書いて送ったことがあります。
僕の家はお寺でした。長兄が実家の寺を継ぎ、五番目の兄が高崎市内のお寺に入り、そして七番目である私は、高崎郊外の小さな村のお寺へ入ることを夢見ていました。父と母が若いころ過ごした寺で、当時は空き寺になっていました。この空き寺の住職となって、ゆっくりと日本の古典を読み、近くの川の畔を散歩し、時には詩や短歌をものして、静かな人生を贈ろうと夢想していました。

意中の人に対し、自分は高崎郊外の小さな村の寺院で、後ろ手に聞く川のせせらぎを友として、人生をあなたと共に送っていきたいという夢想を述べた詩を送りました。「あなたと住むべくは 小さき村の 川のほとりのとある寺院。せせらぎの音も和やかに…」

そして彼女の反応は、「とんでもありません。あんな田舎の寂しいところで、スーパーも無ければ医者もいない。あんなところで暮らすことを夢見るなんて、ごめん蒙ります。」という現実味を帯びた厳しい言葉で、私の提案ははねのけられました。

昭和40年代、日本の高度成長の波に乗って、都会では高級なアパートやマンションが建ち始め、誰もが都会生活の中のマンション生活へのあこがれを強くしていた時だからです。

その村は、戸数40戸ほどの村で、一軒のお寺以外、塩、味噌、砂糖などを売る小さな雑貨屋が一軒あるだけで、あとは全戸が農家でした。

■ 自分は自分なりの世界を
カイヤムは、上記の詩にみられるように、砂漠と耕地との境あたりで、王侯もここでは名さえ知られていず、奴隷も身分を忘れて、のびやかに暮らせる世界、そこへ私たちをいざなっているのです。
芥川は、彼なりに、下町の世界に憧れていました。また先ほどの「鼓腹撃壌」の歌も言うまでもありません。

私たちは、ともすれば、現実の社会のなかで立身出世を夢見、そしてなんでもいいから社会の階層を上へ上へと登っていきたいと思うようになります。あるいは、あまり上ではなくとも、中ぐらいのところで、居心地よく居座って、安定した小市民生活がおくれるならと。
子供のころから親や周囲からよく聞かされますよね。特に中学生になったころから、高校は有名な進学校へ進み、大学は有名大学へ行くことが社会への登竜門であり、自己が社会の中で一生涯にわたる経済的な安定と身分の保証と社会的な栄光が与えられると場であると。

そうして、世間が決めた社会的価値をしっかりと信じて受験勉強に励んだりしますよね。

しかし、それは自分なりの幸福とは無縁の世界です。社会が決めたレールとは別個に、やはり自分には自分なりの世界を作り、そこに自分なりの幸福の源泉を求める生き方も、素晴らしいものです。特に歳を取ってから、60歳を過ぎたころから、「社会上昇志向の人」と「こころの世界充足組の人」とは大きな差が現れます。経済安定や社会的位置だけに固執してきた人たちには、こころの安定と人間社会の面白さが分かりにくいという欠陥があります。

さて、最後にフィッツジェラルドの訳詩をフランス語に訳したフランス人の訳を掲げます。
―Edward Fitzgerald  ―X―
(フィッツジェラルド第十歌)
Avec moi sur cette frange brodée d’herbe
Qui sépare le désert des champs cultivés,
Où le nom d’Esclave et de Sultan est connu à peine
Où le sultan Mahmoud sur son trône fait pitié.
(Traduction par Charles Grolleau -Paris Nelson Editeurs-)

意味が明快です。「明快でないものは、フランス的でない。」というデュアメルの言葉がありますが、これを地で行くようなフランス語訳です。明快すぎて、フィッツジェラルドの訳詩が、裸になってしまったような感じです。フィッツジェラルドの訳詩を荘厳な建物にたとえるなら、グロローの仏訳はその設計図のような趣です。
―続くー

 

<めざせ語学マスター> RとLが聞き分けられない!?

2021年7月13日

私がフランスに留学したてのころ、フランス語の「靴」という単語「chaussures」の発音ができず、カタカナのまま「ショシュール」と言っていたらホストファミリーの子どもたちにゲラゲラ笑われ「もう一回言ってみて!」と、再度大笑いされたのを覚えています。でも自分では何が違うのか分からない。私の耳にはかなり同じように聞こえるのに・・・。chの発音とssの発音が同じになっているから??「クチュ」って聞こえてるのかな・・・。

語学学校でも一人校庭で「発音の違いがわからない・・・」としょげていたいたことがありました。見かねた知人がそばにきて「siはスィ、chiはシって言ったらいいんだよ。」とアドバイスをくれました。今ならインターネットですぐに見つかるアドバイスかもしれませんが、当時は「そんな簡単なことだったの?」とすごく感動したのを覚えています。

私が行っていたエクサンプロバンスの語学学校には日本人も多くいて、日本人だけの発音の授業もありました。ある日の授業で、日本人の耳には「R」と「L」の違いを聞き分けるのが難しいという話がありました。

「欧米人には「R」と「L」が耳の中の別々の穴に入るのに対して、日本人は「R」も「L」も耳の中の同じ穴に入ってしまいます。」

「み・・・耳に穴が開いてるんですか??」
と素直に驚く私に「例えば、という感じです。本当の穴はありません。」

「ネイティブたちは小さいときからの慣れなどにより簡単に聞き分けらますが、訓練でもある程度は聞き分けられます。耳がいい人、特に音楽をやっている人は発音もうまくなる人が多いです。過去の生徒の中でも、特に発音がきれいになった学生は音大からの留学生などがいました。」

そして20年以上たった今、日本語教育の勉強を始めて、この「穴」の正体に少し近づいた気がしています。

音声上の最小単位は単音(英語:phone*)と呼ばれ、一般的には国際音声記号(IPA: International Phonetic Alphabet)で表します。リンゴの英語、appleなら、 [ǽpl]と表す発音記号のことです。(* phoneの語源はギリシャ語の「音声」。電話のtelephoneのphoneも語源は同じです。)

これに対して意味の違いに関わる最小の音声的な単位は音素(英語:phoneme)と呼び、/n/, /g/, /d/ のように/ /で表します。

例えば英語のcollection とcorrectionは、[kəlékʃən] と[kərékʃən] 。「収集」と「修正」となり、それぞれ意味が違います。この [l]と[r]という音を、英語で意味の違いをなしている音として/l/と/r/で表したのが音素です。英語には/l/と/r/の違いで意味が違う言葉はたくさんありますが、以下に一例をあげます。

fly fry
light right
long wrong
collect correct
glass grass
lighter writer
locker rocker
(参照:https://www.englishclub.com/pronunciation/minimal-pairs.htm

1か所の音の違いで意味が違う言葉のペアを「ミニマルペア」と呼び、外国語の学習時にもよく使われます。日本語だったら「缶」と「癌」、「サル」と「ザル」などが挙げられます。1つの音により意味がガラリと変わる音、それが音素です。上の日本語の例でいうと/k/と/g/、/s/と/z/により意味が違っているのでそれぞれが音素になります。

ところが、英語では全く意味が違う[l]と[r]を含む二つの言葉も、カタカナで書いてみるとどうでしょう。「フライ」「ライト」「ロング」「コレクト」「グラス」「ライター」「ロッカー」・・。そうです。日本語で書くと同じカタカナになってしまいます。日本人の/r/では、[l]と[r]という音(発音)の違いを表現できないので、カタカナにすると同じ「ラリルレロ」になってしまうのです。

日本語の/r/と英語の/r/は同じ記号で表しても、範囲が異なります。これがその昔きいた「[l]と[r]も同じ穴に入る」の正体なのかもしれません。

ちなみに日本語のラの発音は[la]でも[ra]でもなく、歯茎はじき音 [ɾa](rのてっぺんがない記号)です。でも、外国人が話す巻き舌のラでも、lamen でもramen でも中華料理店にいけば「ラーメン」だとわかります。


日本人は、ラーメンの「ラ」をいろんな発音で言われても「なんかちょっと違うかな~、でもま、いいか。」くらいに聞き流すことがほとんどです。でも「ダーメン」とか「ナーメン」と言われると、「違うでしょ!」と突っ込んでしまいがち。日本人にとって/ラ/は/ダ/や/ナ/とは明らかに違うからです。

例えば朝鮮語では[g]と[k]が意味の区別に役立たず、/g/には[g]と[k]が両方とも含まれるそうです。また同様に他の言語では、[d]と [t]、 [b]と [p]の区別がないものもあるので、一週間が「いっしゅーがん」、池袋が「イケプクロ」、妹が「いもーど」となることがあるとのこと。外国語の発音学習で苦労するのは同じですが、苦労するポイントはそれぞれの母語により少しずつ違います。

さて、最初にもどってsiとchiの違い。これは日本人のサ行の発音に原因がありました。日本語のサ行の発音は下記のように表されています。

「シ」だけ違う発音です。このシの発音は、本来「シャ行(シャ[ɕa]、シ[ɕi]、シュ[ɕɯ]、シェ[ɕe]、ショ[ɕo])」の発音ですが、現在の発音ではサ行に借り出されています。ちなみに[s]の発音は歯茎を摩擦して出す音(「スー」という時に使う音)、[ɕ]の発音は歯茎より少し口の奥の上部に息を摩擦させて出す(「シー」という時に使う音)です。

「siをスィと発音してみよう」のように意識するだけで「si」の発音は結構簡単に調整できます。最初の「靴」を表すフランス語「chaussures」も「ショスュール」と意識して発音すればそこまで笑いをとることにはならなかったでしょう。

最近は[fi] の発音も「フィ」、[vi]も「ヴィ」など、カタカナ表記を工夫して近い音を表現できるようになってきました。そして最近の子供向けの英語テキストにあるカタカナもずいぶん以前のカタカナとは違っています。将来、[l]と[r]もカタカナ表記で分けられる日がくるかもしれませんね。(鍋田)


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<お知らせ>ワクチン接種記録の法定翻訳について

2021年7月8日

新型コロナウイルスワクチン接種証明書の翻訳について

フランシールでは、ワクチン接種証明書(Certificate of Vaccination for COVID-19) や新型コロナワクチン接種記録書(Record of Vaccination for COVID-19)の外国語への翻訳も承っております。ご希望の方は弊社ウェブサイトの法定翻訳のページ(https://franchir-japan.com/legal-translation)にアクセスいただき、お申込みフォームの「その他」欄に「ワクチン接種証明書」とご記入してお問い合わせください。また、英語、フランス語、ロシア語以外での対応が必要な方、その他事前のお問い合わせについては、弊社ウェブサイトの「お問い合わせ」(https://franchir-japan.com/contact)にアクセスいただき、お問い合わせ内容の欄に「ワクチン接種記録の法定翻訳希望」と記入してお申し込みください。

*法定翻訳は原則ご依頼から4営業日後に発送を行っております。緊急対応は行っておりませんので期日に余裕をもってお申込みください。

(English)
Translation of Novel Coronavirus Vaccination Certificate
Here at Franchir, among all of our other services, we can also translate the Certificate of Vaccination for COVID-19 and the Record of Vaccination for COVID-19 into your desired language. Please visit the Legal Translation page on our website (https://franchir-japan.com/english/legal-translation/) and enter “Vaccination Certificate” into the Other Details, Comments, Requests field of the application form. If you need assistance in languages other than English, French, or Russian, or if you have any other questions, please get in touch with us via the “Contact Us” page of our website (https://franchir-japan.com/english/contact/). When submitting your inquiry via our website, please enter “Legal translation of vaccination records” in the “Your inquiry ” field of the inquiry form.

*In principle, legal translations are processed and sent out four business days after payment is made, so please book the translation well in advance.

 

(French)
Traduction du nouveau Certificat de Vaccination contre la COVID-19

Franchir peut traduire le Certificat de Vaccination contre la COVID-19 et le Carnet de Vaccination pour la COVID-19 en langue étrangère.
Si vous souhaitez vous renseigner sur ce service, veuillez-vous rendre sur la page française de notre site web (https://franchir-japan.com/french/legal-translation/) et saisir « Certificat de vaccination » dans le champ « Contenu de la traduction » du formulaire de demande.
Si vous avez besoin d’une assistance dans des langues autres que l’anglais, le français ou le russe, ou si vous avez d’autres questions préalables, veuillez-vous rendre sur la page « Contact » de notre site web (https://franchir-japan.com/french/contact/) et saisir « Demande de traduction agréée de Certificat de Vaccination » dans le champ « Votre demande » du formulaire de demande.

En règle générale, les traductions juridiques sont envoyées sous quatre jours ouvrables après la demande. Nous ne fournissons pas de services d’urgence, il convient donc de s’y prendre suffisamment à l’avance.

(Spanish)
Traducción del nuevo certificado de vacunación contra el coronavirus

Franchir puede traducir el Certificado de Vacunación COVID-19 y el Registro de Vacunación COVID-19 a idiomas extranjeros. Si desea informarse sobre este servicio, visite la página de traducción jurídica de nuestro sitio web (https://franchir-japan.com/legal-translation) e introduzca “Certificado de vacunación” en el campo “Otros” del formulario de solicitud. Si necesita asistencia en otros idiomas que no sean el inglés, el francés o el ruso, o si tiene cualquier otra consulta preliminar, visite la página “Solicitudes” de nuestro sitio web (https://franchir-japan.com/spanish/contact/) e introduzca “Solicitud de traducción legal de los registros de vacunación” en el campo “Su consulta” del formulario de consulta.

Por regla general, las traducciones jurídicas se envían cuatro días hábiles después de la solicitud. No ofrecemos servicios de urgencia, por lo que le rogamos que lo solicite con suficiente antelación.

 

(Russian)
Перевод сертификата о вакцинации от новой коронавирусной инфекции

Компания Franchir может осуществить письменный перевод на иностранные языки сертификата о вакцинации от новой коронавирусной инфекции (Certificate of Vaccination for COVID-19) и карты с записями о вакцинации от новой коронавирусной инфекции (Record of Vaccination for COVID-19). Если Вы хотите узнать об этой услуге подробнее, пожалуйста, посетите страницу о заверенном переводе документов на нашем сайте (https://franchir-japan.com/russian/legal-translation) и введите “Сертификат о вакцинации” в поле “Прочая информация” формы заявки. Если Вам нужен перевод на какие-либо другие языки, помимо английского, французского или русского, или если у Вас есть другие предварительные вопросы, пожалуйста, посетите страницу “Запрос” нашего сайта (https://franchir-japan.com/russian/contact) и введите “Запрос относительно заверенного перевода записей о вакцинации”.

*Как правило, заверенные переводы направляются по почте через четыре рабочих дня после поступления запроса. Мы не предоставляем услуг срочного перевода, поэтому, пожалуйста, обращайтесь заблаговременно.

<めじろ奇譚>通訳に向いている人、向いていない人

2021年7月8日

私の同僚のSさんは、放っておくと朝からずっとしゃべり続けているのですが、彼は第一線で活躍するフランス語の通訳でもあります。Sさんをじーっと観察していると、通訳者というのは基本的におしゃべり好きな人、口数が多い人が向いている職業だなとつくづく感じます。もし現場に登場した通訳が高倉健みたいな人だったら、みなさん困ってしまいそうですよね。

インターネットで検索すると、「通訳に向いている人はこういう人」といった記事がいろいろと見つかります。一般に通訳者といえば、勉強熱心で、前向きで、タフで、高い知性と好奇心を持っていて・・・というイメージがあると思いますが、実際に私たちが一緒にお仕事させていただいている通訳者さんたちはそのイメージを地で行く本当に素晴らしい方々です。一言でいうならプロ精神がとにかく高いのだと思いますが、人気のある通訳者さんは「また一緒に仕事をしたいな」と思わせてくれる方も多く、きっとベースに「人と関わるのが好き(または得意)」という資質があるのかなと思います。

全ての職業人に共通して言えることですが、通訳者も「とにかくたくさん通訳する」ということでプロの技が磨かれて行きます。これから通訳者を目指す方は、仕事のオファーが安定的に入ってくるようになるまでは、条件にはあまりこだわらずに、とにかく現場に立つ機会をゲットしていくことをお勧めします。たくさんの人と仕事をする中で、自分を成長させてくれる出会いや、次の仕事につながる出会いが生まれることでしょう。

フランシールでは、お客様の海外出張に日本から同行する同行通訳を始め、オンラインや対面での逐次通訳、社内会議や国際会議の同時通訳、大型プロジェクトに参加するインハウス通訳など、さまざまな通訳案件を多数取り扱っております。これから通訳者としてのキャリアを積みたいという方は、奮って弊社の人材募集にご応募ください。(上畑)

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